2017年2月18日(日)に千葉県市川市中山にある法華経寺(ほけきょうじ)にいってきました。
山号は「正中山」で、宗派は「日蓮宗」です。
ご本尊は「十界曼荼羅」です。
法華経寺の所要時間ですが、ゆっくり参拝した場合で約90分でした。
法華経寺の由緒・概要
法華経寺は、鎌倉時代の文応元年(1260年)に日蓮大聖人が最初に教えを説いて創建したお寺です。
現在の法華経寺の辺りは、鎌倉時代には八幡荘谷中郷(やわたのしょうやなかごう)と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍(ときじょうにん)と太田乗明(おおたじょうみょう)が館を構えていました。
彼らは日蓮に帰依してその有力な檀越(だんおつ)となり、館には持仏堂(じぶつどう)が建立されました。
法華経寺は、文永11年に太田乗明の居館に創建した本妙寺(法華経寺の初代貫主:日常上人)と、若宮領主の富木胤継(法華経寺の2代目貫主:日高上人)の居館に創建した法華寺が並び立って一寺を構成していました。
合寺して法華経寺と名乗るのは戦国時代の天文14年(1545年)以後のことです。
法華経寺には、国宝に指定されている「立正安国論」「観心本尊抄」をはじめ多くの貴重な聖教類が保管されています。
建造物では、五重塔、祖師堂、法華堂、四足門が重要文化財に指定されています。
千葉県で一番大きい大仏である「中山大仏」も境内にあります。
また江戸三大鬼子母神(きしもじん)のひとつである「中山鬼子母神」があり、昔から安産・子育てのご利益があると厚く信仰されています。
日蓮宗大本山法華経寺
正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。
中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(一二四九~五五)頃のことです。
彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両寺が合体して法華経寺と名乗るのは、戦国時代の天文十四年(一五四五)以後のことです。
富木常忍は出家して日乗と名乗り、法華経寺の初代貫主となり、二代目は太田乗明の子日高が継ぎました。そして千葉胤貞の猶子である日祐が第三代貫主となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、法華経寺は隆盛の時代を迎えます。千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の有力な一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。日祐は胤貞の亡父宗胤の遺骨を安置し名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経寺の基礎をつくりました。その後、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となります。
法華経寺には、祖師日蓮の書いた「立正安国論」「観心本尊抄」の国宝や重要文化財をはじめとして多数の聖教(仏典)類が保管されています。これは千葉氏のもとで文筆官僚の任にあたっていた日常が熱心に整理保存に意をそそいで以来、寺内の宝蔵や坊で厳重に保管されてきた結果です。現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保管されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。
また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書が発見されました。これを紙背文書といいます。これは富木常念が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著作の料紙として日蓮が使用した結果、偶然のこされたもので、歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など、当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。
寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂舎、絵画や古記録・古文書などの数々の文化財があります。また周辺には日蓮が鎌倉にむけて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に残されています。
これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国に知られています。平成十年十二月
(日蓮宗大本山法華経寺境内・市川市教育委員会掲示より)
法華経寺へのアクセス・駐車場
電車でアクセス
・京成本線「京成中山駅」から徒歩約10分
・JR総武本線「下総中山駅」から徒歩約14分
車でのアクセス・駐車場
法華経寺にはかなり大きな無料駐車場がありますので車での参拝もおすすめです。
法華経寺の見どころ
法華経寺の見どころはたくさんありますが、以下が特に見どころです!
1.重要文化財の五重塔、祖師堂、法華堂、四足門
2.千葉県で一番大きい「中山大仏」
3.四季によって姿を変える境内(総門の梅、参道の桜)
法華経寺で参拝
駅から法華経寺までは参道が続きます。
法華経寺総門ですが、黒門とも呼ばれ、市指定有形文化財に指定されています。
法華経寺仁王門で、赤門とも呼ばれています。
梅が満開で、仁王門と相まってとても風情があって美しい風景でした。
大変見ごたえがありますので、梅の時期の仁王門はおすすめです!
赤門の扁額に「正中山」の文字が見えますが、こちらの文字は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆が書いたものです。
門の両側には仁王像が境内を守護していました。
仁王門の前には日蓮上人の大きな像があります。
「立正安国を説くお祖師さま」と書かれています。
仁王門をくぐるとしばらく参道が続きます。
参道の両側は桜の木が並び、春になると桜を見る為に多数の参拝者が訪れます。
お土産屋さんや軽食屋さんが参道に軒を連ねます。
この辺りには、人懐っこいねこがたくさんいて癒されました♪
奥に見えるのが重要文化財に指定されている五重塔です。
江戸時代の元和8年(1622年)に造られた五重塔で総高31.6メートルです。
細部の装飾が少なく、外部全体が朱色で仕上げられていることが特徴です。
江戸時代以前の五重塔は関東には少なく、この五重塔を含めて池上本門寺の五重塔など4基が残るのみで大変貴重です。
五重塔の隣には千葉県で一番大きい「中山大仏」がありますが、2017年2月18日時点では修復工事中でした。
正面に祖師堂、左に浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)さまがおられ、隣に手水舎があります。
浄行菩薩さまです。
ご尊体を「南無妙法蓮華経」と一心に唱えながら磨くと、身体や心の穢れを浄化してくれます。
手水舎でしっかりと清めてから参拝へと進みます。
重要文化財に指定されている祖師堂です。
現在は比翼入母屋形式ですが、以前は三層錣屋根入母屋形式だったと伝わっています。
江戸時代の延宝六年(1678年)に上棟されたもので、内部には日蓮聖人像が安置されています。
祖師堂の隣には妙見堂があります。
毎年11月には妙見尊星大祭が行われ、酉の市が開催されます。
刹堂で、祖師堂奥の小高い丘の上に造られています。
入母屋屋根が特徴の建物で、十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様が祀られています。
少し右手に歩くと重要文化財に指定されている法華経寺四足門があります。
四足門の奥には重要文化財の法華堂があります。
鎌倉時代の文応元年(1260年)に造られ、室町時代後期に再建されたものになります。
日蓮宗の仏堂では現存建築物で最古で大変貴重なものになります。
法華堂の隣には宇賀神堂があります。
財福の神として信仰されており、商売繁盛・家内安全などのご利益があります。
裏手には清正公堂や太田稲荷が祀られています。
清正公堂で「清正公さま」と呼ばれ親しまれており、除災開運・合格・必勝などのご利益があります。
清正公堂の隣には太田稲荷があります。
こちらでもしっかり参拝しました。
宇賀神堂の近くには宝殿門があり、こちらをまっすぐ進むと聖教殿があります。
聖教殿で、昭和6年(1931年)に造られました。
日蓮筆で、国宝の『観心本尊抄』『立正安国論』をはじめとした貴重な文化財を完全な状態で保存するために造られた建物で、とても美しい建物でした。
11月のお風入れの時には一部公開されます。
法華経寺の駐車場前には鬼子母神大尊神堂があります。
こちらには日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像が安置されています。
内部には社務所があり、御朱印やお守りを頂くことができました。
境内をでて五重塔の隣には「泣き銀杏」があります。
泣き銀杏の由来は、法華経寺の開山日常上人の義子の日頂上人が、日常上人が危篤状態になったけれども面会が叶わず、日常上人が遷化した際悲しみ、このイチョウの下で号泣したことからそのような名前がついています。
また、イチョウの木は千葉県市川市内では葛飾八幡宮の「千本公孫樹(せんぼんいちょう)」に次ぐ大きさを誇ります。
おわりに
法華経寺に参拝してみて、重要文化財に指定される貴重な建造物が数多く残されていました。
特に五重塔の美しさは格別で、そして大変貴重な建造物ですので必見です。
また四季によって境内は姿を変え、特に春の梅で彩られる仁王門や、参道いっぱいに咲く桜も見ごたえがあります。
徒歩約5分歩くと日蓮聖人がはじめて説法をした法華経寺奥之院もあります。
見どころいっぱいの法華経寺に是非一度参拝してみてはいかがでしょうか。
場所 | 千葉県市川市中山2-10-1 |
電話番号 | 047-334-3433 |
拝観料 | 無料 |
拝観日 | 無休 |
交通 | ・京成本線「京成中山駅」から 徒歩約10分 ・JR総武本線「下総中山駅」から 徒歩約14分 |
コメント