2022年10月21日(金)に日本100名城第36番で、福井県坂井市丸岡町霞町にある丸岡城に行ってきました。別名「霞ヶ城」の名前でも親しまれています。
丸岡城は現存12天守の一つで北陸地方で唯一残る天主は重要文化財に指定されています。
今回丸岡城を見学してきましたので見どころや日本100名城スタンプの設置場所や御城印、所要時間やアクセス、駐車場等をご紹介したいと思います。
丸岡城の概要
丸岡城は天正4年(1576年)、織田信長の家臣であった柴田勝家の甥「柴田勝豊」によって平野の独立丘陵(標高27m)に築城された連郭式平山城です。
天正10年(1582年)、本能寺の変が発生すると柴田勝豊は近江国の長浜城に移り、柴田勝家は家臣の安井家清を城代としました。
天正11年(1583年)、柴田勝家が「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に滅ぼされると丹羽長秀の所領となり、長秀の家臣である青山宗勝が城代となりました。
慶長5年(1600年)、丹羽長秀の家臣から豊臣秀吉の家臣となった青山宗勝が「関ヶ原の戦い」で西軍方につき改易になると、徳川家康の次男で福井藩主の結城秀康が入封し、家臣の今村盛次が入城しました。
慶長17年(1612年)、今村盛次が越前騒動に連座して失脚すると本多成重が入城しました。元禄8年(1695年)まで本多家が城代として統治しますが本多重益の代に統治する資質に欠けると改易されます。元禄8年(1695年)に有馬清純が入封すると、その後有馬氏8代に渡り丸岡藩藩主として統治し明治時代を迎えました。
明治4年(1871年)の廃藩置県により天守を除く建物は破却され天主も売却されました。しかし明治34年(1901年)に丸岡町によって買い戻されました。
昭和17年(1942年)に天主の改修工事が行われますが、昭和23年(1948年)に発生した福井地震により天守が倒壊します。
昭和30年(1955年)、改修工事の調査報告書を元に倒壊以前の部材を70%以上再利用し修復再建され現在に至ります。
丸岡城へのアクセス・駐車場
交通機関を利用
・JR北陸本線「丸岡駅」下車、「丸岡駅」バス停より「48 三国丸岡線」霞の郷行きに約17分乗車し、「丸岡城」バス停下車、丸岡城まで130m、徒歩で約1分
・JR北陸本線「丸岡駅」下車、丸岡城ま4.0km、タクシーで約10分
自動車を利用
・カーナビで丸岡城を検索、または丸岡城(一筆啓上茶屋)の電話番号「0776-66-5880」を入力
駐車場
丸岡城には普通自動車が合計180台駐車可能な無料駐車場が2か所あります。おすすめは丸岡城に近い「①一筆啓上茶屋駐車場」で、今回金曜日の午前10時に訪れましたが混雑もなく空いていました。
①一筆啓上茶屋駐車場 | ②一筆啓上日本一短い手紙の館北駐車場 | ||
営業時間 | 午前6時30分~午後8時 | 営業時間 | 午前6時30分~午後8時 |
収容台数 | 普通自動車40台 | 収容台数 | 普通自動車140台 |
駐車料金 | 無料 | 駐車料金 | 無料 |
①一筆啓上茶屋駐車場
②一筆啓上日本一短い手紙の館北駐車場
日本100名城スタンプ設置場所
日本100名城スタンプは、 霞ヶ城公園管理事務所(券売所窓口)にあります。スタンプの押印可能時間は午前8時30分から午後5時です。
丸岡城の見学と見どころ
丸岡城の見学開始
一筆啓上茶屋駐車場の近くに「歴史民俗資料館」があり、その側の石段を登って天主に向かいます。資料館はお城の入城券があれば見学可能で、内部には本多氏や有馬氏の展示や丸岡城の歴史が紹介されています。
霞ヶ城公園管理事務所(券売所窓口)
石段を登ると「霞ヶ城公園管理事務所(券売所窓口)」があります。こちらで入城券を購入すると天守と歴史民俗資料館の見学ができます。また日本100名城スタンプもこちらに設置されています。
営業時間 | 午前8時30分~午後5時(最終入場は午後4時30分) |
料金 | 大人:450円、小中学生:150円 |
休城日・休館日 | 年中無休 |
券売所の坂道の先に丸岡城の天守があります。丸岡城は平地の標高27mの独立丘陵に築城された平山城ですので駐車場から天守までアクセスしやすいと思います。券売所の向かいには丸岡八幡神社が鎮座しています。
丸岡八幡神社
丸岡八幡神社は丸岡城の鎮守社として築城時からこの地にお祀りされています。御祭神は誉田別命・息長帯姫命・比咩神で勝運向上・安産・子育などのご利益で知られています。
お静の慰霊碑
坂道を登り左側にある石碑は丸岡城築城時に人柱となった「お静の慰霊碑」です。
石製しゃち
天守へ登る石段の横に展示されているのは「石製鯱」です。元は木彫銅板板張りでしたが、昭和15年(1940年)~昭和17年(1942年)に行われた修理では戦禍により銅板の板の入手が困難でした。その為、天主閣の石瓦と同質の石材造られましたが昭和23年(1948年)の福井大震災により落下しました。現在の天主閣には昭和27年(1952年)~昭和30年(1955年)の修復時に元の木彫銅板板張りで復元された鯱が設置されています。
丸岡城天守
丸岡城天守は北陸地方で唯一現存するもので国の重要文化財に指定されています。天守は二重三階の望楼型で、天正4年(1576年)に柴田勝豊が丸岡城の築城時と同時期に建造したと考えられ現存最古の天守と呼ばれていました。しかし福井県坂井市教育委員会の調査により江戸期の寛永年間(1624年~1644年)に建造されたことが判明し、平成31年(2019年)3月に結果が発表されました。現存12天守で最古の天守は国宝の犬山城(1585年~1590年建造)です。
防御施設と天守台
天守は昭和23年(1948年)の福井大地震で倒壊しますが、昭和30年(1955年)に部材の70%以上を再利用して組みなおし修復再建しました。天主には「石落とし」や「狭間」の防御施設が見られます。天守台の石垣は野面積みとなっています。
天守に続く石段を登ると入口から内部の見学をすることが可能です。一階は塗籠と横長の板を少しずつ重なるようにして張り合わせていく下見板張となっています。三階は外に柱や長押をそのまま見せる真壁造で、周りに欄干のある縁側を付けた古風な造りになっています。
天守内部の見学と見どころ
天守に入ると徳川家康の忠臣で鬼作左と呼ばれた「本多重次」と、重次の長男で丸岡藩の初代藩主「本多成重」のパネルがお出迎えしてくれます。
天守内にはかつての丸岡城周辺を精巧に再現したミニチュアの展示もあります。小高い丘に築城された丸岡城の周辺には内堀が巡り、更にその外周に三の丸と外堀が囲んでいました。
天守内部からも狭間と石落しの防御施設を見ることが出来ます。
天守の三階からは町を一望することが出来ます。かつての丸岡藩歴代城主もここから同じ景色を見ていたと思うと感動しますね♪屋根の瓦は越前国で産出される笏谷石製の石瓦が使われています。
霞ケ城の名前の由来となった井戸と祠
天守の近くには霞ケ城の名前の由来となった「井戸」と「祠」があります。
天正4年(1576年)に柴田勝豊が丸岡城を築城した後も一向一揆が度々起こり攻撃を仕掛けてくることがありました。その度にこちらの井戸から大蛇が現れ城に「かすみ」をかけて城の危機を救いました。
この伝説が別名「霞ケ城」と呼ばれる所以となっており、こちらの祠はその井戸「雲井龍神」をお祀りしています。
御城印
御城印は「霞ヶ城公園管理事務所(券売所窓口)」で頂くことが可能で、料金は300円となっています。
丸岡城(福井県坂井市)
現存天守で日本100名城
入場券に越前織が付いてきました。
スタンプと御城印はチケット売り場にて#丸岡城#日本100名城 pic.twitter.com/wfDAQR4m6t— ❖ k-masahiro (@mosihara) May 9, 2023
おわりに
丸岡城の所要時間ですが、ゆっくり見学した場合で約40分でした。丸岡城には北陸唯一の天守が現存しており、野面積みの天守台、石落としや狭間など当時の防御施設の姿を見ることができます。お静の慰霊碑や石製しゃち、霞ケ城の名前の由来となった井戸や祠、築城当時から鎮座している丸岡八幡神社も必見です。歴史民俗資料館を見学すると丸岡城をより深く知ることが出来ます。見どころいっぱいの丸岡城に是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。
丸岡城(まるおかじょう) | |
住所 | 福井県坂井市丸岡町霞町1−59 |
電話番号 | 0776-66-0303 |
営業時間 | 午前8時30分~午後5時(最終入場は午後4時30分) |
定休日 | 年中無休 |
見学料 | 無料 |
アクセス | ■交通機関を利用 ◎JR北陸本線「丸岡駅」下車、「丸岡駅」バス停より「48 三国丸岡線」霞の郷行きに約17分乗車し、「丸岡城」バス停下車、丸岡城まで130m、徒歩で約1分 ◎JR北陸本線「丸岡駅」下車、丸岡城ま4.0km、タクシーで約10分 ■自動車を利用 ◎カーナビで丸岡城を検索、または丸岡城(一筆啓上茶屋)の電話番号「0776-66-5880」を入力 |
駐車場 | 普通自動車が合計180台収容できる無料駐車場が2か所あり |