2019年5月3日(金)に日本100名城第95番で、大分県竹田市にある岡城に行ってきました。
岡城は天神山の断崖絶壁を活かした高石垣が見事な城で、難攻不落の城呼ばれています。
瀧廉太郎が作曲した荒城の月のモチーフとなった城としても有名です。
岡城を見学してきましたので見どころや日本100名城スタンプの設置場所や御城印、所要時間やアクセス、駐車場等をご紹介したいと思います。
岡城の概要
岡城は文治元年(1185年)、『平家物語』にも登場する緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎える為に築城されたと伝わります。
応安2年(1369年)、『豊後国志』によると、豊後国の大友氏の支族であった志賀貞朝が岡城を修復・拡大し、木牟礼城(騎牟礼城)から居城を移しました。
天正14年(1586年)、豊薩合戦で大友氏が島津氏に耳川の戦いで敗れると、島津義弘や新納忠元が指揮する島津の大軍が岡城に攻め込み攻撃を開始しました。城主の志賀親次はわずか1,500名の兵で何度も撃退したことから「難攻不落の城」として知られるようになりました。
文禄2年(1593年)、大友吉統が文禄の役で豊臣秀吉に所領を没収されると志賀親次も岡城を去ると、翌年中川秀成が岡城の城主になりました。
中川秀成は入城するとすぐに総石垣の城郭へ大改築を行い、慶長元年(1596年)に岡城の普請が完了しました。
明和8年(1771年)、火災が発生し、本丸・西ノ丸・御廟など城の大半を焼失しますが、安永3年(1774年)に本丸、安永8年(1779年)に西の丸が再建されました。
岩盤の台地の上に築城された為、自然災害の影響を受けやすく、台風・地震・火災により城郭は破損しましたが、その都度復旧しました。
明治7年(1874年)、廃藩置県によって城内の全ての建造物は破却され石垣のみ残りました。明治34年(1901年)には作曲家の瀧廉太郎が荒廃した岡城をモチーフに荒城の月を作曲しました。
昭和11年(1936年)、「岡城址」として国の史跡に指定されました。
岡城へのアクセス・駐車場
交通機関を利用
・JR線「豊後竹田駅」下車、岡城まで約4.1km、タクシーで約10分
・JR線「豊後竹田駅」下車、岡城まで約2.7km、徒歩で約35分
・JR線「豊後竹田駅」下車、「竹田駅前」バス停よりバス乗車約2分、「竹田本町」バス停下車、岡城入口まで1.1km、徒歩約11分
自動車を利用
・カーナビに岡城跡料金所の電話番号「0974-63-1541」を入力
駐車場
岡城には普通自動車が120台収容可能な無料駐車場があります。
駐車場は広くて駐車しやすく、午後に訪れた際は混雑もなくすぐに駐車できました。
日本100名城スタンプ設置場所
日本100名城スタンプは、駐車場側にある総役所(駐車場及び入城者の受付所)にあります。
岡城の見学と見どころ
岡城の登城開始
岡城の総役所で日本100名城のスタンプの押印と入城者受付を済ませて登城します。
入城料は高校生以上300円、小・中学生150円、入城受付時間は午前9時から午後5時までです。
登城口から大手門跡へ向かって歩くと目の前には見事な高石垣の光景が広がっています。
道は舗装されて歩きやすいですが、傾斜がかなりありますのでご注意ください。
難攻不落の城を体感しながら歩を進めます。
かまぼこ石
大手門跡へ続く道の右側にはかまぼこ石と呼ばれる扇形の石が並んでいます。
石の上には穴が開いており、かつて石の上に壁が築かれていました。
大手門跡
大手門は城の正面玄関で、大手門の石垣上には櫓が築かれ防御施設の役割もありました。
大手門跡の石垣は打込接ぎで角部には算木積みが用いられています。
城内から大手門跡を見た光景で、石垣の大きさや礎石からかつての大手門を伺うことができます。
西の丸跡
大手門を過ぎて左の方に広がる曲輪は西の丸跡です。
西の丸跡には城内で最も広い場所で、3代藩主・中川久清の隠居後の住まいや庭園、馬場がありました。
西中仕切跡
大手門から右手の道を直進すると西中仕切跡(貫木門跡)が見えてきます。
城内で最も狭い通路で敵が一斉に侵入できないようにし、更に折り曲げることによって直進できないよう工夫され、城の防御力を高めています。
三の丸北側の高石垣はフォトスポット
西中仕切跡から三の丸北側の高石垣が見えます。
城内で最も高い石垣で、壮大な高石垣が連なる見事な景観を望むことができます。
岡城の人気のフォトスポットとなっています。
三の丸石垣からの景色も絶景でフォトスポットのひとつです!
太鼓櫓跡・鐘櫓跡
西中仕切跡の先に見えるのは太鼓櫓跡と鐘櫓跡です。
太鼓櫓の石垣は、切込接と呼ばれる石積技法で巨石が積み上げられています。
岡城のような山城にこれほどの巨石で石垣が造られていることに驚きます。
太鼓櫓跡の先に二の丸跡と本丸跡があります。
二の丸跡
二の丸は北の方角にL字型で張り出した場所で、中央に御殿、張り出した場所に月見櫓、東端に風呂屋が造られていました。軍事的な要素は少なく、和やかで優雅な建物が並ぶ藩主の遊興の場としての意味合いが強い場所でした。
現在、二の丸跡には瀧廉太郎像や無料休憩所があります。
瀧廉太郎像
『荒城の月』の作曲者である瀧廉太郎は、幼少期を岡城で過ごし、岡城の荒廃した姿をモチーフに作曲したと伝わります。その為、九重連山を借景に瀧廉太郎が設置されています。
本丸跡
切込接ぎと算木積みで隙間なく積み上げられた見事な本丸跡石垣です。
石垣横の石段より本丸跡へ上ることができます。
本丸跡にはかつて本丸御殿がおかれていました。
本丸跡にある岡城天満神社は文禄2年(1593年)、岡城に入城した中川秀成が建立したもので、ご祭神は菅原道真公です。
中川覚左衛門屋敷跡
本丸跡から大手門の方へ戻り、賄方跡を経由して北へ進むと岡藩の家老を務めた中川覚左衛門屋敷があります。中川覚左衛門は茶道織部流の祖・古田織部正重の子孫で、延享2年(1745年)にこの屋敷に移りました。
平成5年(1993年)から2年間行われた発掘調査結果と詳細に記された絵図を元に屋敷間取り位置がわかるように復元されています。
近戸門跡・七曲り
中川覚左衛門屋敷跡近くにある近戸門跡は家臣や領民が日常的に利用した通用口の門跡です。
城内と城下は「七曲り」と呼ばれる曲がりくねった道を通じて結ばれていました。
こちらが七曲りと呼ばれる坂で、急な傾斜と曲がりくねった道が特徴です。
近戸門跡から七曲りを下ると岡城の駐車場へでることができます。
御城印
岡城の御城印は駐車場側にある総役所で購入することが可能で料金は300円となっています。
御城印のデザインは藩主・中川氏の家紋「中川柏」が中央に描かれています。
今年初出城⁉
大好きな大分県竹田市!
愛する岡城!
終わっちゃったのかブース
何もなくてモッタイナイから
自称観光大使から宣伝!
岡城のパンフレットは巻物
なので料金所は必ず通るべし!
来年1月から御城印開始
お楽しみに!っつーか
石垣マニアはとにかく来い!#お城EXPO2019 #岡城 #100名城 pic.twitter.com/jYza0Pv4z7— 友と珈琲と城と池袋(94+51/200) (@39Flowersaurus) December 22, 2019
おわりに
岡城の所要時間ですが、ゆっくり見学した場合で約1時間20分でした。
岡城を見学してみて、石垣が見事な山城で、大手門跡や本丸跡の見事に積み上げられた石垣や、三の丸北側の敵を寄せ付けない高石垣は特に見ごたえがありました。
城内はかなり広く傾斜もあり、一部足元の悪い場所もありますので歩きやすい服装と靴をおすすめします。
大分県には日本100名城第94番の大分府内城もありますので一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。
岡城 | |
住所 | 大分県竹田市竹田2889 |
電話番号 | 0974-63-1541 |
営業時間 | 午前9時~午後5時 |
定休日 | 12月31日~1月3日 |
見学料 | 高校生以上300円、小・中学生150円 |
アクセス | ■交通機関を利用 ・JR線「豊後竹田駅」下車、岡城まで約4.1km、タクシーで約10分 ・JR線「豊後竹田駅」下車、岡城まで約2.7km、徒歩で約35分 ・JR線「豊後竹田駅」下車、「竹田駅前」バス停よりバス乗車(料金150円)約2分、「竹田本町」バス停下車、岡城入口まで1.1km、徒歩約11分 ■自動車を利用 ・カーナビに岡城跡料金所の電話番号「0974-63-1541」を入力 |
駐車場 | 普通自動車が120台収容できる無料駐車場あり |
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