東京都文京区本駒込 桜の名所で武蔵野市吉祥寺の名前の由来になった!吉祥寺(きちじょうじ)

吉祥寺18
2017年2月4日(土)に東京都文京区本駒込にある吉祥寺(きちじょうじ)にいってきました。
山号は「諏訪山」で、宗派は「曹洞宗」です。

吉祥寺の創建は、長禄2年(1458年)で築城の名人として有名な大田道灌が江戸城築城の際に井戸をほると「吉祥増上」の金印が出てきたため、現在の千代田区和田倉門の近くに創建したと伝わります。

徳川家康の入府に従い、天正19年(1591)に現在の水道橋一帯に移転しますが、明暦3年(1657年)に発生した明暦の大火後に現在の本駒込の地に移転しました。
江戸時代には七堂伽藍を誇り、僧侶の養成機関として栴檀林を持ち、1000名余りの僧侶が学んでいました。

昭和25年(1945年)の東京大空襲で被災し、山門経蔵を除き全て焼失しました。
現在は本堂や庫裏などが復興され、現在にその姿を伝えています。

吉祥寺は桜の名所としても有名で、境内の枝垂れ桜染井吉野は春になると満開の花を咲かせます。

吉祥寺所要時間ですが、ゆっくり参拝した場合で約30分でした。

本駒込吉祥寺と武蔵野市吉祥寺の関係

武蔵野市吉祥寺には「吉祥寺」というお寺はありません。
本駒込吉祥寺が武蔵野市吉祥寺の名前の由来となっています。
武蔵野市吉祥寺は、「吉祥寺」というお寺がないのになぜ吉祥寺と名前がついているかというと東京で発生した2つの災害が関係しています。

1.かつて水道橋近くにあった吉祥寺の門前町は、明暦3年(1657年)に発生した明暦の大火で焼失してしまい、住民達の住む場所がなくなりました。
その為幕府の斡旋によって現在の武蔵野市を開墾し「吉祥寺村」と名付けて移住しました。

2.大正12年(1923年)に起こった関東大震災により東京が被災し、多くの人々が住む場所を失いました。
人々は住む場所を求めて武蔵野市吉祥寺に移住し、吉祥寺の人口は増加、発展し現在の姿へとつながっています。

吉祥寺へのアクセス

電車でアクセス

・東京メトロ南北線「本駒込駅」出口から徒歩約5分

吉祥寺で参拝

吉祥寺入り口の山門です。
こちらの山門は東京大空襲でも残った貴重な山門で当時の吉祥寺の姿を今に伝えています。
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山門をくぐるとまっすぐ本堂まで参道が続きます。
春になると枝垂れ桜で参道が彩られるので是非見てみてください。
本堂まではかなりの距離があり、かつて七堂伽藍があり、広大な寺域があったことがわかります。
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茗荷稲荷(みょうがいなり)です。
江戸時代に疫病が蔓延した際、祈願の人が絶えなかったと伝わります。
戦災で焼失しますが、戦後再建されました。
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六地蔵もおられました。
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山門からもう少し歩みを進めると左手に吉祥寺大仏が見えてきます。
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吉祥寺大仏です。
高さは2~3メートルで、江戸六地蔵と同じくらいの大きさがあります。
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二宮尊徳(金次郎)のお墓も参道左手にありました。
経済と道徳の融和を目指した報徳思想を唱えて農村復興政策を指導したことで有名です。
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お墓の側には有名な二宮金次郎の像も建っています。
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吉祥寺の図書収蔵庫であった経蔵(きょうぞう)です。
文化元年(1804年)に建造されたもので、戦災を乗り越えて江戸時代のものが残っているのはとても貴重です。
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特に経蔵の彫刻は見事で見ごたえがあります。
各所に意匠と技術の粋をこらした素晴らしい彫刻ですので是非見てみてください。
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経蔵の近くには鐘楼もあります。
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参道の一本道を道なりに進むと広大な広場にでます。
駒込の街中にこのような広大な場所があったことに驚きました。
見渡すと高い建物も目に入らず、一瞬東京の都会の真ん中であることを忘れます。
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本堂です。
境内はとても綺麗で、地元の方がときどき参拝でいらっしゃっていました。
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本堂の右側には見事な枝垂れ桜がありました。
もう少しすれば見事な桜の花を楽しむことができます。
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おわりに

本駒込吉祥寺は武蔵野市吉祥寺の名前の由来になったお寺で、山門や経蔵は江戸時代から残る貴重な建造物でした。
境内には枝垂れ桜や染井吉野があり、春になると桜を楽しむこともできます。
吉祥寺大仏や二宮尊徳のお墓も境内にありました。
本駒込の街中にありながらとても広い境内で、静かに参拝できるお寺でとても心地が良かったです。
近くには梅の花が美しい「清林寺」や「光源寺」もありますので一緒に参拝してみてはいかがでしょうか。

場所 東京都文京区向丘3-19-17
電話番号 03-3823-2010
拝観料 無料
拝観日 無休
交通 ・東京メトロ南北線「本駒込駅」
出口から徒歩約5分

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