2014年5月3日に京都市東山区にある豊国神社(とよくにじんじゃ)に行ってきました。
見所は豊国神社にある国宝の唐門と、地続きで隣にある方広寺にある鐘です。
桃山時代建築で、伏見城の遺構と伝えられ、欄間等桃山時代らしい豪華な装飾が施されています。
豊国神社入口参拝開始
豊国神社社殿は徳川家康の手で大阪夏の陣後廃祀されましたが、現在の社殿は明治13年(1880年)に再建されました。
尚、滋賀県竹生島にある都久夫須麻神社の本殿は創建豊国神社社殿を移築したものと伝えられています。
入り口の階段を上ったところの風景です。
奥に見えるのが国宝の唐門です、ここからでも豪華さが伝わります!
桃山時代の豪華絢爛な雰囲気を伝える唐門
豊国神社唐門の写真です。
実際目の前にすると、桃山時代の雰囲気をよく伝える、豪華絢爛で迫力に圧倒されます。
唐門は明治の再興の際、南禅寺の塔頭「金地院」から移築されたもので、それ以前は伏見城の城門であった可能性が高いそうです。
少し見づらいですが、柱の周りにかかっているのは瓢箪(ひょうたん)絵馬です。
出世、開運、縁結びにご利益があります。
豊国神社の隣にある「方広寺」
豊国神社の隣に方広寺があります、歩いて約1分位で行けます。
大阪の陣のきっかけになった鐘
こちらは方広寺の有名な鐘です。
方広寺はかつで大仏殿でしたが、地震や災害や解体により、現在は鐘のみ残っています。
歴史の教科書で学習してご存知の方も多いと思いますが、「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれた鐘です。
徳川家康が「家康の名を引き裂き、豊臣家を讃えるもの」をして激怒し、豊臣家は滅亡へと進みました。
写真の鐘の左上の白くペンキの枠に囲まれたところに問題の文字が記載されています。
おわりに
豊国神社唐門を実際に見てみて、桃山時代の豪華絢爛な迫力に圧倒されました。
そして大きな歴史の転換点となった方広寺に残る鐘をみて、豊臣から徳川への歴史の転換を感じることができました。
滋賀県竹生島にある都久夫須麻神社の本殿も豊国神社に関係がある可能性があるので、実際に見てみたくなりました。
歴史の転換点を体感できるスポットだと思います!
場所 | 京都市東山区大和大路通正面茶屋町530 |
交通 | 京阪電車 七条駅から徒歩約10分 市バス 博物館・三十三間堂前下車 徒歩5分 (京都駅前より206系統に乗車) |
駐車場 | 境内に普通車15台無料駐車可。 |
入館料 (宝物館) |
大人300円 大学生・高校生200円 小学生100円 |
拝観時間 | 午前9時00分~午後4時30分 |
拝観日 | 年中無休 |
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