【日本100名城第38番】六段壁の石垣が見事な岩村城!歩いて登った場合の所要時間や見どころ、スタンプ設置場所やアクセス等をご紹介!

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2020年12月13日(日)に日本100名城スタンプラリー38番で、 岐阜県恵那市にある「岩村城(いわむらじょう)」に行ってきました。
岩村城の付近は霧がよく発生するため、別名「霧ヶ城」とも呼ばれています。
岩村城は日本一標高が高いところにある山城で、岡山県の備中松山城、奈良県の高取城とともに日本三大山城のひとつに数えられています。

岩村城は文治元年(1185年)、源頼朝の重臣であった加藤景廉(かとうかげかど)が遠山荘地頭に命じられ、砦あるいは城館的なものを築いたのが始まりと伝わっています。
加藤景廉の長男・景朝は加藤の姓を遠山に改め、以来遠山氏が代々居城としました。

戦国時代の元亀元年(1570年)、遠山氏最後の城主である遠山景任(とおやまかげとう)の時に武田信玄の武将であった秋山信友が攻めてきましたが、織田方の武将明智光廉が撃退しました。
遠山景任の妻は織田信長の叔母女城主としても有名なおつやの方です。

元亀2年(1571年)、遠山景任が病没すると織田信長は5男で幼少の坊丸(織田勝長)を遠山氏の養子としました。後見をおつやの方とし、幼少の坊丸の代わりに女城主として差配を振るいました。
元亀3年(1572年)、武田信玄は再び秋山信友に岩村城の攻略を命じました。岩村城は武田方に包囲され、織田軍の援軍もなく、おつやの方は秋山信友と婚姻するという条件で降伏しました。
天正3年(1575年)、岩村城は織田信長に攻略されて、秋山信友夫妻達5名は長良川河川敷で処刑されました。その後、河尻秀隆が城主となり、森長可、森忠政、田丸正昌が城主となりました。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い以後は松平家乗が城主となり2代、正保2年(1645年)に丹羽氏信が城主となり5代、元禄15年(1702年)に信濃小諸城より松平乗紀が城主となり7代治めました。

明治6年(1873年)、廃城令により競売に付されすべて取り壊されました。
現在は本丸、二の丸、八幡曲輪、東曲輪、本丸北東面には雛壇状に築かれた6段の石垣を持つ六段壁が残っています。

日本100名城スタンプ岩村歴史資料館受付窓口にあります。

今回長篠城を見学してきましたのでアクセスや駐車場、見どころや歩いて登った場合の所要時間等をご紹介したいと思います。

岩村城をゆっくり見学した場合、所要時間は2時間でした。

岩村城へのアクセス・駐車場

岩村城本丸へのアクセスは2通り

岩村城へのアクセスは、1.岩村城登城口から登城する場合と、2.岩村城本丸付近から登城する場合の2つのアクセス方法があります。
1の場合、岩村城登城口から本丸まで徒歩で約30分かかります。
2の場合、岩村城本丸付近から本丸まで徒歩で約5分かかります。

交通機関を利用

・明知鉄道「岩村駅」下車、岩村城登城口まで1.5km徒歩22分
・明知鉄道「岩村駅」下車、岩村城登城口まで2.2kmタクシーで5分
・明知鉄道「岩村駅」下車、バスに3分乗車「岩村上町バス停」下車、岩村城登城口まで600m徒歩で5分

自動車を利用

・【岩村城登城口】カーナビに岩村歴史資料館の電話番号「0573-43-3057」を入力
・【岩村城本丸】カーナビに岩村城跡の住所「岐阜県恵那市岩村町城山」を入力し本丸を選択

駐車場

岩村城には無料駐車場が2か所あります。

1.岩村城登城口から本丸まで歩く場合
岩村歴史資料館前の無料駐車場を利用します。
駐車場は広く混雑することもありませんので利用しやすいです。
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2.岩村城の本丸付近まで車で行く場合
岩村城の本丸から本丸付近の無料駐車場を見たところで、本丸まですぐアクセスできます。
駐車場は広く混雑することもなく、本丸や岩村城の見どころの六段壁の石垣を見ることができますので時間がない場合、おすすめの駐車場です。
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日本100名城のスタンプ設置場所

日本100名城スタンプ岩村歴史資料館受付窓口にあります。
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岩村城の見学と見どころ

今回、岩村歴史資料館に車をとめて岩村城登城口から岩村城へ向かいました。
駐車場の近くには平成2年(1990年)に復元された太鼓櫓と表御門があります。
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岩村城登城口

岩村城登城口の石碑を見ながら先へと進みます。
岩村城の本丸はここから850mの距離があり、見学時間を含めずにここから徒歩で約30分かかります。
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本丸までの道は整備されており歩きやすいです。
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藤坂

岩村歴史資料館の場所にはかつて藩主邸があり、藩主邸から一之門まで続く登城道を藤坂(ふじさか)と呼んでいました。
源頼朝の重臣であった加藤景廉の妻重の井が故郷の紀州藤城村から持参した藤の大木があった由来からそのように呼ばれています。
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初門

初門(はつもん)と呼ばれる場所で、有事の際に臨時の門を構えて通行を遮断する役割があったためそのように呼ばれています。
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道なりに進むと立派な石垣が出現します。
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一之門

この辺りは二層の櫓門の一之門があった場所で、石垣や土塀で厳重に固められ内側には番所が置かれていました。
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土岐門

土岐門(ときもん)と呼ばれる岩村城の二之門があった場所で、内側は馬出状の曲輪となっています。
土岐氏から城門を奪い移築した逸話からそのように呼ばれており、廃城後は岩村町飯羽間にある徳祥寺の山門に移築され現存しています。
この場所は標高670mで本丸まであと300mになります。
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畳橋・大手門・三重櫓

畳橋(たたみばし)と呼ばれる木の橋が架かっていた場所です。
追手への入口は高石垣と桝形門、三重櫓で固められ、前面の空堀にL字型の架かる畳橋を通って内部へ入るようになっていました。
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追手門・三重櫓から城内へ進むと霧ヶ井が見えてきます。
ここから本丸まであと250mになります。
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霧ヶ井

霧ヶ井は、岩村城の別名「霧ヶ城」の名前の由来になった井戸です。
敵が襲来した際、この井戸に蛇骨を入れると霧が立ち込め敵から城を覆い隠した伝説が残ります。
現在も井戸の水は湧き出しており、岐阜県の名水50選にも選ばれています。
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八幡神社

霧ヶ井から進むとかつて八幡神社があった場所が見えてきます。
鎌倉時代に源頼朝の重臣で、岩村城を築城した加藤景廉が祀られていました。
明治5年(1872年)に山麓の現在地に移転されました。
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八幡神社から少し進むと目の前に六段壁の石垣が見えてきます。
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六段壁

六段壁(ろくだんへき)の石垣は本丸の北東面に雛壇状に築かれた石垣で迫力と美しさに圧倒されます。
元は最上部のみの高石垣でしたが、崩落を防ぐために前面に補強の石垣を積むことを繰り返し、現在の姿となりました。
ここから本丸まではあと50mです。
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六段壁の石段を登り長局埋門へと向かいます。
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長局埋門

長局埋門(ながつぼねうずみもん)は両側の石垣の上に多門櫓が載せられ、石垣の間に門を設けた櫓門です。
長局埋門を過ぎると本丸が見えてきます。
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本丸

本丸には納戸櫓や二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣上に構えられていました。
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岩村城の本丸は海抜717mに位置し、日本一標高が高い本丸となっています。
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埋門

本丸から埋門(うずみもん)を通って帰路に着きます。
埋門の両側と奥の石垣に覆いかぶさるように櫓が建てられ、門の右側には二重櫓の納戸櫓が構えられていました。
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おわりに

岩村城を岩村城登城口から本丸まで歩いてみて、道は整備され歩きやすかったですが、本丸まで片道30分必要でした。
見学時間も含めると所要時間は2時間程度確保しておいたほうがよいと思います。
本丸付近の駐車場から本丸へアクセスする場合は、見学時間を含め所要時間は1時間あれば大丈夫だと思います。
岩村城は建造物は残っていませんが、石垣の遺構が状態良く残っており、特に雛壇状に築かれた六段壁の石垣は見ごたえがあります。
見どころが多い岩村城にぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

岩村城(いわむらじょう)
住所 岐阜県恵那市 岩村町城山
電話番号 岩村歴史資料館:0573-43-3057
スタンプ設置場所 岩村歴史資料館
営業時間 ・4月から11月:午前9時~午後5時
・12月から3月:午前9時30分~午後4時
定休日 ・月曜日(祝日と重なった場合は翌日)
・祝日の翌日
・年末年始(12月28日~1月4日)
見学料金 岩村歴史資料館:一般300円、高校生以下は無料
アクセス ■交通機関を利用
・明知鉄道「岩村駅」下車、岩村城登城口まで1.5km徒歩22分
・明知鉄道「岩村駅」下車、岩村城登城口まで2.2kmタクシーで5分
・明知鉄道「岩村駅」下車、バスに3分乗車「岩村上町バス停」下車、岩村城登城口まで600m徒歩で5分
■自動車を利用
・【岩村城登城口】カーナビに岩村歴史資料館の電話番号「0573-43-3057」を入力
・【岩村城本丸】カーナビに岩村城跡の住所「岐阜県恵那市岩村町城山」を入力し本丸を選択
駐車場 無料駐車場が2か所あり
1.岩村歴史資料館前の無料駐車
2.岩村城の本丸から本丸付近の無料駐車場