【日本100名城第72番】毛利元就が居城とした中国地方最大級の山城「吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)」!スタンプ設置場所や所要時間、見どころをご紹介!

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2021年7月11日(日)に日本100名城スタンプラリー72番で、広島県安芸高田市吉田町にある「吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)」に行ってきました。
戦国武将の毛利元就が居城とした中国地方最大級の山城として有名です。

吉田郡山城の築城時期は不明ですが、15世紀には存在していたと考えられています。
16世紀中頃、毛利元就によって山全体が要塞化され、山頂の本丸を中心に放射状にのびる6本の尾根、更にそこからのびる6本の支尾根の合計12の尾根と、270段以上もの曲輪を築き、西日本最大級の山城へと整備拡大が進められました。

元就の後、孫にあたる毛利輝元も石垣の整備等を進めました。
しかし山城の吉田郡山城は交通の便が悪く、天正19年(1591年)に輝元が広島城を築城し本拠が移動すると、家臣や城下町の商人らは広島城下へ移動し、吉田郡山城は毛利氏の居城としての役割を終えました。
慶長20年(1615年)、江戸幕府よって一国一城令が出され吉田郡山城は取り壊されました
寛永14年(1637年)、島原の乱が発生した際にキリシタンが廃城になっていた原城を占拠したのを知った幕府が再発を恐れ、郡山城の石垣などを徹底的に破却し廃城となりました。
現在は登山道沿いにある曲輪、土塁、堀切、井戸わずかな石垣が往時の姿を今に伝えます。

日本100名城スタンプは「安芸高田市歴史民俗博物館」にあります。

今回吉田郡山城を見学してきましたので見どころやアクセス、駐車場をご紹介したいと思います。

吉田郡山城と安芸高田市歴史民俗博物館をゆっくり見学した場合、所要時間は2時間30分(吉田郡山城1時間30分、安芸高田市歴史民俗博物館1時間)でした。

「吉田郡山城」へのアクセス・駐車場

交通機関を利用

・JR芸備線「向原駅」下車、タクシーで「安芸高田市歴史民俗博物館(吉田郡山城)」まで約8.7km・約13分
・JR芸備線「向原駅」下車、バス※に約25分乗車し「安芸高田市役所前」バス停下車、「安芸高田市歴史民俗博物館(吉田郡山城)」まで徒歩約650m・約2分
※バスは本数が少なく、日曜日・祝日は運休です
・JR山陽本線「広島駅」下車し、市電に乗車し「広島バスセンター」下車、そこから「吉田出張所行き」のバスに約90分乗車し「安芸高田市役所前」バス停下車、「安芸高田市歴史民俗博物館(吉田郡山城)」まで徒歩約650m・約2分

自動車を利用

・カーナビに安芸高田市歴史民俗博物館の電話番号「0826-42-0070」を入力

駐車場

安芸高田市歴史民俗博物館(普通車15台)、吉田郡山城(複数個所駐車場あり)にはそれぞれ無料駐車場があり、それほど混むこともないので駐車場で困ることはないと思います。

日本100名城のスタンプ設置場所

日本100名城スタンプは「安芸高田市歴史民俗博物館」の窓口あります。
利用の際はスタッフの方にお声がけしてするとスタンプを貸してくれます。

営業時間は午前9時から午後5時です。
休館日は祝日を除く月曜日及び、祝日の翌日(土日の場合は開館)、そして年末年始(12/29~1/3)です。
休館日の場合はスタンプを押した紙が玄関に置いてあります。

「吉田郡山城」の見学と見どころ

安芸高田市歴史民俗博物館で日本100名城スタンプと見学

吉田郡山城は標高390mの山城で、登城時はかなり足場の悪い山道を歩きます。
歩きやすい服装と靴をおすすめします。
登城前に安芸高田市歴史民俗博物館日本100名城のスタンプを押します
入館料は大人300円で、吉田郡山城の歴史や見どころ等が展示されているので、登城前に見学するのをおすすめします。
所要時間は約1時間です。
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安芸高田市歴史民俗博物館から吉田郡山城の無料駐車場までは約300mです。
道中、登山用の杖の無料貸し出しがあります。
本丸跡まではかなり険しい山道ですので利用をおすすめします。
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吉田郡山城駐車場から登山道入り口へ

無料駐車場から道なりに約5分進むと吉田郡山城登山道入り口が見えてきます。
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最初の方の道は整備された道で歩きやすいです。
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しばらく歩くと毛利元就の墓所に到着します。
歴史を感じる石の鳥居は明治7年(1874年)、毛利元就200回忌の時に建立されました。郡山城5

毛利元就の墓所

毛利元就の墓所です。
元就は元亀元年(1571年)に75歳で生涯を閉じました。
墓標の代わりに白い木「ハリイブキ」が植えられいるのが特徴です。
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墓所周辺は緑の苔が広がっており、涼しく静かな落ち着ける空間となっています。
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墓所の近くには洞春寺跡(とうしゅんじあと)があります。
天正元年(1573年)、毛利元就の3回忌に毛利輝元が創建しました。
その後、関ヶ原の戦いの後、毛利氏と共に山口県へ移りました。
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毛利元就の人柄が伝わる百万一心の碑

毛利元就のエピソードで有名な百万一心の碑です。
築城が難航した際、人柱を立てようとしたのをやめさせ、「百万一心」と彫らせた碑を埋めたと伝わります。
当時、白川小峰城の「おとめ桜」のエピソードが残るように、築城が難航した際は人柱を立てることがありました。
「百万一心」とは、「日を同じくして、力同じして、心を同じくすれば、何事も成しえる」という意味です。
「三本の矢の教え」のエピソードと同様に結束の大切さと、人命を大切にする元就の人柄を知ることができます。
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登山口から本丸跡付近まで約20分

元就の墓所から郡山城後(本丸)の登山口へと進みます。
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登山口から本丸までは約20分かかります。
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道中、木の根が盛り上がっていたり、岩が転がっていたり、かなり険しい道が本丸まで続きます。
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途中休憩できる場所もありますので、ゆっくりマイペースで進みます。
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眼下には町が広がっており、かなり登ってきたことが分かります。
当時の毛利家の家臣も登るのがつらいといった記録が残っているほど登るのは大変です。
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登山口から約20分後、本丸へ残り100mの看板が見えてきます。
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不揃いな石が散乱している御蔵屋敷跡

看板まわりの辺りは開けた場所となっており、不揃いで大きな石が散乱しています。
これは慶長20年(1615年)、江戸幕府よって出された一国一城令で破壊された石垣が散乱しているためです。
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この辺りにはかつて東西約20m、南北約30m、面積600㎡ある御蔵屋敷跡がありました。
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三の丸跡は城内最大の曲輪

御蔵屋敷から少し進むと三の丸跡があります。
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三の丸跡は城内で最大の曲輪で、東西約40m、南北47mの広さがあります。
こちらも石垣が壊されていますが、吉田郡山城の中では往時の姿が想像しやすい場所だと思います。
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三の丸跡の北側にある二の丸跡

三の丸を見学した後、北にある二の丸跡に移動します。
二の丸跡は東西約38m、南北20mの広さです。
二の丸と三の丸の間には幅15mの通路や礎石が残っていることから門、または塀があったと考えられています。
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標高が一番高い場所に本丸跡

奥の広場が二の丸跡で、手前の広場が本丸跡です。
本丸は一辺35mの方型の曲輪になっています。
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本丸は2段となっており、本丸広場の北側は櫓台があり一段高くなっています。
櫓台は長さ23m、幅10mありました。
この地点が標高が一番高く、標高389.7mとなっています。
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おわりに

吉田郡山城を見学してみて、江戸時代の一国一城令で破壊され、石垣などは曲輪等に散乱していました。
最初に安芸高田市歴史民俗博物館で見学してから登城すると、往時の城の全体像をつかみやすいので見学をおすすめします。
山道はかなり険しいので、動きやすい服装と靴をおすすめします。
見どころは、毛利元就の墓所、百万一心の碑、御蔵屋敷跡、三の丸跡、二の丸跡、本丸跡になります。
中国地方最大級の山城である吉田郡山城にぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

吉田郡山城(記載情報は安芸高田市歴史民俗博物館)
住所 広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
電話番号 0826-42-0070
スタンプ設置場所 安芸高田市歴史民俗博物館窓口
営業日 午前9時~午後5時
定休日 ・祝日を除く月曜日及び、祝日の翌日(土日の場合は開館)
・年末年始(12/29~1/3)
見学料金 ・大人300円
・小、中学生150円
アクセス ■交通機関の場合
・JR芸備線「向原駅」下車、タクシーで「安芸高田市歴史民俗博物館(吉田郡山城)」まで約8.7km・約13分
・JR芸備線「向原駅」下車、バス※に約25分乗車し「安芸高田市役所前」バス停下車、「安芸高田市歴史民俗博物館(吉田郡山城)」まで徒歩約650m・約2分
※バスは本数が少なく、日曜日・祝日は運休です
・JR山陽本線「広島駅」下車し、市電に乗車し「広島バスセンター」下車、そこから「吉田出張所行き」のバスに約90分乗車し「安芸高田市役所前」バス停下車、「安芸高田市歴史民俗博物館(吉田郡山城)」まで徒歩約650m・約2分
■自動車の場合
・カーナビに安芸高田市歴史民俗博物館の電話番号「0826-42-0070」を入力
駐車場 無料駐車場あり