2019年9月19日(火)に日本100名城スタンプラリー97番で、鹿児島県鹿児島市城山町にある「鹿児島城(かごしまじょう)」に行ってスタンプを押してきました。
鹿児島城は地元では屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことから「鶴丸城(つるまるじょう)」の名前で親しまれています。
鹿児島城をゆっくり見学した場合で、所要時間は1時間でした。
鹿児島城の概要
鹿児島城は鹿児島県鹿児島市城山町にある平城で、江戸時代初期の慶長7年(1602年)に「島津義弘(しまづよしひろ)」の子である「島津忠恒(しまづただつね)」※によって築城されました。
かつてあった御楼門のつくりは「屋形づくり」と呼ばれ、鶴が翼を広げたような形をしており、「鶴丸城」の名称でも親しまれています。
※島津忠恒は後に「島津家久(しまづいえひさ)」と名乗ります。
本丸、二の丸を連郭式に並べ、石垣を築き、「御楼門(ごろうもん)」、「御隅櫓(おすみやぐら)」がありました。
しかし、77万石ともいわれる大名の城にも拘わらず、天守閣や高層建築をもたない中世の居館のようなお城でした。
理由としては、江戸幕府に対する恭順の意味があったこと、そして「外城制(とじょうせい)」とよばれる多数の城を家臣に守らせる制度があった為、近世城郭にしなかったと考えられています。
鹿児島城の見どころ
鹿児島城(鶴丸城)の見どころは
・切込接(きりこみはぎ)の石垣
・石垣に残る西南戦争の銃痕
・御楼門跡※
となっています。
※御楼門・御隅櫓は2020年3月再建予定です
鹿児島城付近にある
・薩摩義士碑
・西郷隆盛洞窟
・西郷隆盛終焉の地
も鹿児島の歴史を知る上で重要な史跡で見どころとなっています。
鹿児島城付近の史跡を見学した場合の所要時間は1時間でした。
日本100名城スタンプ設置場所・料金所
鶴丸城本丸跡に建っている「鹿児島県歴史資料センター黎明館(れいめいかん)」に日本100名城スタンプが設置されています。
黎明館閉館時は、西郷隆盛像近くにある「鹿児島まち歩き観光ステーション」内に日本100名城スタンプが設置されていますのでそちらで押印することができます。
西郷隆盛像の左側の建物が「鹿児島まち歩き観光ステーション」です。
スタンプ以外にも見どころを詳しく教えていただけますので、周辺観光の際は立ち寄ることをおすすめします。
アクセス
・JR鹿児島本線「鹿児島中央」下車、バスで「市役所前」バス停下車、約300メートル・徒歩約5分。
・鹿児島市電「市役所前」から約300メートル・徒歩約5分。
鹿児島城の駐車場
鹿児島城には「鹿児島県歴史資料センター黎明館」の無料駐車場があります。
普通乗用車は125台駐車可能で、駐車場は広くとても駐車しやすいです。
駐車場は城山の方にあり、照国神社大鳥居を右折し、直進すると駐車場が見えてきます。
鹿児島城を見学・順路順にご紹介
西郷隆盛の銅像
鹿児島城の城山近くには昭和12年(1937年)に造られた「西郷隆盛の銅像」があります。
総高は8メートルにもなる大きな銅像で、西郷隆盛は西南戦争でこの城山の地で自刃しました。
西郷隆盛像はとても大きく、像の前の道路を渡ったところに写真撮影スポットがあり、そちらで撮影するのがおすすめです!
西郷隆盛像から鹿児島城の御楼門跡まで石垣が続きます。
道路は綺麗に整備されていて明治時代の道を歩いているよう。。
石垣には西南戦争の銃痕が多数
西南戦争では鹿児島城も激戦地となり、石垣には当時の銃痕が多数みられます。
石垣に沿って歩いていくと見事なハスがお堀にいっぱいあり、9月中旬でしたがハスの花がちらほら見ることができました♪
御楼門跡から城内へ
御楼門跡から城内へと進みます。
御楼門は明治6年(1873年)の火災により焼失しましたが、明治維新150周年を記念して復元事業が進んでいます。
2020年3月に再建予定で、完成すると「屋形づくり」で高さが約18メートル、幅が約20メートルの御楼門を見ることができるようになります。
鹿児島城は天守をもたないお城で、御楼門の「屋形づくり」は鶴が翼を広げたような形でしたので鶴丸城とも呼ばれました。
石垣の向こうに見えるのが100名城スタンプが設置されている「鹿児島県歴史資料センター黎明館」です。
この場所は西南戦争の激戦地となった場所で、銃痕が石垣の至る所に残っています。
本丸跡に建てられた黎明館へ向かう道の石垣にはどの場所にも銃痕の跡が残っており、西南戦争の激しさを肌で感じることが出来ます。
西郷隆盛や大久保利通も約150年前にはこちらの道を通ったと思うと不思議な気持ちになりますね。
本丸跡には「鹿児島県歴史資料センター黎明館」
こちらが本丸跡地にある「鹿児島県歴史資料センター黎明館」です。
鹿児島の歴史が展示されていますが、特に幕末維新期の資料が充実していますので必見です!
こちらにも100名城のスタンプが設置されています。
黎明館の近くには「天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)」の像があります。
2008年に高視聴率を記録したNHK大河ドラマ「篤姫 」で一躍有名になりました。
鹿児島城付近の見どころ
薩摩義士碑
鹿児島城近くには「薩摩義士碑」があります。
宝暦3年(1753年)に江戸幕府は薩摩藩に今の岐阜県の木曽川・揖斐川・長良川の治水工事を命じました。
工事期間は1年3ヶ月で動員人数は約1000人、総工費は300億円にのぼり、薩摩藩の財政を圧迫しました。
また幕吏や地域住民との対立、 悪疫の流行で88名が犠牲になり、多大な出費だけでなく、多くの犠牲者がでました。
その供養の為に大正9年(1920年)に建立された墓塔で、治水工事で藩の多大な出費の責任をとって自刃した家老「平田靱負(ひらたゆきえ)」を頂上にした墓塔となっています。
西郷隆盛洞窟
鹿児島城から城山方面へ少し歩くと、「西郷隆盛洞窟」と呼ばれる洞窟があります。
西南戦争終盤、城山を包囲する政府軍4万人に対し、西郷隆盛と兵士300人が5日間立てこもった洞窟です。
奥行きが4メートル、間口が3メートル、入口の高さは2.5メートルと小さな洞窟です。
自然の洞窟のように見えますが、人工的に造られた洞窟で、西郷隆盛達が立てこもった洞窟とは思えない程の小ささに驚きます。
ここから決死の覚悟で岩崎谷へ降りる途中、西郷隆盛の腰と大腿部に流れ弾が命中し生涯をおえました。
近くには駐車場と大きな西郷隆盛像があります。
鹿児島城から少し歩きますので車で来ても良いと思いますが、道路が狭くなっているので運転は注意が必要です。
西郷隆盛像の近くには洞窟が掘られており、その中で西南戦争を解説した展示物が展示されています。
西南戦争の経緯がわかりやすく展示されているのでおすすめです。
西郷隆盛終焉の地
「西郷隆盛終焉の地」は住宅街の中にあり、西郷隆盛洞窟から約300メートル、650歩のところにあります。
洞窟を出て西郷隆盛は2発の流れ弾により腰と大腿部を負傷します。
負傷し道が閉ざされた西郷隆盛は「別府伸介(べっぷしんすけ)」に「晋どん、もうここらでよか」と伝え、別府伸介に介錯をあおいで49歳の生涯をこの地で閉じました。
そして7か月に及ぶ西南戦争が終結し、武士の時代が終焉へと向かいました。
おわりに
鹿児島城は天守閣を持たないお城で、石垣が見ごたえがありました。
明治6年(1873年)まであった御楼門は、「屋形づくり」と呼ばれる鶴が翼を広げたような形をしており、鶴丸城の別称でも親しまれています。
御楼門・御隅櫓は再建中で、2020年3月完成予定となっています。
鹿児島城付近の「薩摩義士碑」、「西郷隆盛洞窟」、「西郷隆盛終焉の地」も鹿児島の歴史を知る重要な史跡で必見です。
鹿児島城(鶴丸城) | |
住所 | 鹿児島県鹿児島市城山町7鹿児島県鹿児島市城山町 |
電話番号 | 099-298-5111 (観光交流センター) |
スタンプ設置場所 | 鹿児島まち歩き観光ステーション、黎明館 |
営業時間 (黎明館) |
午前9時から午後6時まで |
定休日 (黎明館) |
月曜日・毎月25日・12月31日~1月2日 |
入館料 | 大人310円 高校生・大学生190円 小学生・中学生120円 |
駐車場 | 普通車125台駐車可能な無料駐車場あり |