【日本100名城 第82番】大洲城 見どころ完全ガイド|天守・櫓・城下町散策・スタンプ情報

2020年2月23日、愛媛県大洲市にある大洲城を訪れました。
大洲城は日本100城 第82番に選ばれており、城跡は現在「大洲城址公園」として整備され、櫓や石垣、堀跡などを散策できる観光スポットになっています。
城の象徴である木造の復元天守は、史料や出土品を手がかりに平成16年(2004年)に戦後初の完全木造による本格復元天守の一つとして復元されたもので、往時の姿を想像させる佇まいを今に伝えています。
大洲城は、肱川の水運を生かした交通・物流の結節点としても重要視され、山間部と瀬戸内海をつなぐ地域支配の拠点となりました。天守最上階からは肱川や城下町を見渡すことができ、歴史と風景を同時に味わえる城跡です。
大洲城とは|肱川を見下ろす四国有数の名城
大洲城は、愛媛県大洲市の南予エリアを代表する歴史ある城郭で、肱川が大きく湾曲する地点の高台に築かれています。この立地は天然の要害ともいえる地形で、中世以降の城にとって軍事的に非常に有利な場所でした。
城の始まりは南北朝時代にさかのぼると考えられており、伊予に入部した宇都宮氏の一族、宇都宮豊房がこの地に拠点を構えたのが起源と伝えられています。以後、大洲は宇都宮氏の本拠として発展し、地域支配の中心的存在となっていきました。
戦国時代になると伊予各地で勢力争いが激しくなり、大洲城もその渦中に置かれます。豊臣秀吉による四国平定後は、小早川隆景の統治を経て、築城の名手として知られる藤堂高虎がこの地域を治め、城郭の近世化が進められました。その後、脇坂安治らの支配を経て、城の整備が段階的に進められていきます。
江戸時代に入ると、元和3年(1617年)に加藤貞泰が大洲藩主として入城し、以後明治維新まで加藤家が約250年にわたりこの地を治めました。この時代に城下町の整備が進み、大洲城は藩政の中心として機能する近世城郭として完成形を迎えます。
明治維新後の廃城令により、多くの建物は解体されましたが、石垣や一部の櫓は残されました。そして平成時代に入り、古写真や古図、雛形などの史料をもとに木造での天守復元が進められ、平成16年(2004年)、往時の姿を再現した四重四階の木造天守が完成しました。現在、この天守は大洲の象徴として親しまれています。
城内散策レポート|駐車場・駅から大洲城へ
大洲城へのアクセスは比較的良好で、伊予大洲駅から徒歩圏内に位置しています。駅から歩くと城下町の雰囲気を感じながら進めますが、車で訪れる場合は観光第一駐車場(無料)や大洲市民会館駐車場(有料)などに停めると便利です。
城下町の石畳や古い商家の並ぶ街並みを歩きながら進むと、肱川に架かる鉄橋越しに大洲城の復元天守が遠くに見える瞬間があり、旅の気分が一気に高まります。肱川の流れと緑豊かな丘陵地帯を背景にそびえる天守は、訪れる者を強く惹きつけます。
① 大洲城 南隅櫓(国重要文化財)の見どころ

大洲城を訪れたら、まずは三の丸と呼ばれる外郭エリアを通って本丸へ向かいます。本丸から少し離れた場所にあるため、見落とさないよう注意が必要です。三の丸には、国の重要文化財に指定されている南隅櫓が現存しており、往時の城の構えを今に伝えています。
南隅櫓は二層構造の建物で、外堀の角に位置し、敵の動きを監視する役割を担っていました。櫓の外壁には、防御のための工夫として設けられた石落としの痕跡も見られ、城が実戦を想定して築かれていたことを感じさせます。
② 二の丸エリアと下台所・苧綿櫓の歩き方

三の丸を抜けて内堀を越えると、いよいよ城の中心部にあたる二の丸のエリアに足を踏み入れます。大洲城自体は、肱川のほとりにそびえる小さな丘を利用して築かれた梯郭式の平山城で、二の丸は本丸にもっとも近い外郭のひとつとして重要な役割を果たしていました。三の丸から二の丸へ進むにつれて、城の構造が次第に防御重視になっていくことが感じられます。

こちらは二の丸エリアにある下台所です。城内で食料の保管や調理に関わった施設と考えられ、元禄5年(1692年)の絵図に描かれていることから、17世紀末以前の建物とみられています。現在は愛媛県の有形文化財に指定され、城の暮らしを伝える貴重な遺構です。
二の丸東南隅に建つ苧綿櫓は、肱川を望む位置にある二重二階の櫓で、城の東側防備を担っていました。こちらは国の重要文化財に指定され、大洲城を代表する現存櫓のひとつです。
両者は城内で数百メートルほど離れているものの、二の丸を歩けば数分で行き来できます。石垣沿いに巡ることで、城の防御配置も実感できるルートになっています。
③ 本丸の高欄櫓・台所櫓(国重文)を巡る

二の丸を抜け、石垣沿いの道を進んでいくと、大洲城の中枢にあたる本丸へと至ります。本丸は城内で最も重要な区画で、高く積まれた石垣に囲まれた堅固な造りが印象的です。このエリアには高欄櫓や台所櫓といった歴史ある建物が今も残り、かつて城の中心として機能していた面影を感じさせてくれます。

大洲城の本丸に残る高欄櫓と台所櫓は、どちらも 国の重要文化財 に指定されている貴重な建築です。明治期に多くの城郭施設が失われたなかで、これらの櫓は当時の姿を今に伝えています。
高欄櫓は二階部分の廻縁に手すりが付いた装飾性の強い二重二階の櫓(実戦向きではなく格式的)で、その意匠は格式の高さを感じさせます。本丸入口付近にあり、かつては天守と渡り櫓で結ばれていました。
台所櫓は大洲城の現存櫓の中でも大きく、城内で兵糧の調理や食事の準備に使われた実用性が強い櫓(生活機能)と見られています。籠城時の生活を支えた施設としての役割もうかがえます。
④ 大洲城 天守の見どころ:外観と内部構造

平成16年(2004年)に再建された大洲城天守は、江戸時代に撮影された古写真や「天守雛形」と呼ばれる木組み模型、さらに発掘調査の成果などを根拠に復元された、四重四階の木造建築です。
その姿は典型的な層塔型天守で、黒く仕上げられた下見板張りの外壁が引き締まった印象を与えます。屋根には千鳥破風や向唐破風などが組み合わされ、角度によって異なる表情を見せる変化に富んだ屋根の構成が特徴です。
天守は本丸の南東側に建ち、周囲には台所櫓や高欄櫓といった櫓が並んで配置されていました。これらはかつて渡り櫓で結ばれ、建物同士が連続する複合的な構えを形づくっていたと考えられています。

大洲城の木造復元天守は、外観だけでなく内部構造も大きな見どころです。復元には、江戸時代の木組み模型や発掘調査の成果、古写真などが活用され、柱や梁の配置まで丁寧に再現されました。天守内部には一・二階にまたがる吹き抜け空間があり、太い柱や梁がそのまま見える力強い木組みを間近で見ることができます。
建材にはヒノキなどの良質な木材が使われ、館内にはほのかな木の香りが漂います。急な階段を上がる構造も当時の様式に沿ったもので、往時の城の内部空間を体感できる造りになっています。

大洲城の天守最上階からは、肱川の穏やかな流れと城下町の屋根並みが一望でき、歴史の舞台となったこの場所の景色を肌で感じられます。川の湾曲するラインが周囲の町並みと調和し、四方を見渡せる開放感ある眺めは、戦略的にこの地が選ばれた理由を実感させてくれます。山並みが遠方に連なる風景も視界に入り、自然と城下がひとつにつながるダイナミックなパノラマが楽しめるのが大洲城天守の魅力です。
⑤ 城下町散策と日本100名城スタンプ情報

天守を見学した後は、大洲城周辺の城下町の散策もおすすめです。天守から見下ろした古い街並みを実際に歩いて巡ることで、城下町として栄えた大洲の魅力をより身近に感じられます。城の周辺には、伝統的な町家を活用したカフェやお土産屋さんが点在しており、歴史ある風景のなかで気軽に立ち寄りながら散策できます。
また、大洲城の 日本100名城スタンプ は、城内入口近くの 台所櫓入口(大洲城内入口) の有料エリア内に設置されています。設置時間は 9:00〜17:00(入場は16:30まで) です。天守・櫓共通観覧料は大人約550円、小人(中学生以下)は約220円です(※最新の料金は現地案内で確認してください)。
アクセス・駐車場・基本情報
| 所在地 | 愛媛県大洲市大洲 |
|---|---|
| 最寄駅 | JR予讃線「伊予大洲」駅から徒歩約15~20分、松山自動車道「大洲肱南IC」から車で約5分 |
| 入城料金 | 天守・櫓見学は有料 |
| 入場料金 | 大人約550円 / 小人約220円 |
| 営業時間 | 9:00〜17:00(入場は16:30まで) |
| 定休日 | 年中無休 |
| 所要目安 | 約60~90分(天守+櫓+散策) |
| 駐車場 | 観光第一駐車場(無料)ほか周辺にあり |
まとめ|肱川のほとりで歴史を歩く名城
大洲城は、戦国時代の動乱期に起源を持ち、江戸時代の城郭建築と現代の木造復元技術が見事に融合した歴史ある城跡です。平成16年(2004年)に再建された木造復元天守と現存する複数の櫓をあわせて見学することで、城の構造や生活・防御のあり方を立体的に感じ取ることができます。また、城下町や肱川の風景と一体となった散策路も魅力のひとつで、歴史散策と風光明媚な観光の両方を満喫できます。
四国の城巡りをする際には、大洲城を起点として周辺の名城にも足を延ばすのもおすすめです。例えば、瀬戸内海の海城として知られる今治城や、現存天守を有する宇和島城、海運の要衝としての遺構が残る能島城跡など、それぞれ異なる特色を持つ城が点在しています。こうした城との比較を楽しみながら巡ることで、四国各地の歴史と城郭文化をより深く味わうことができると思います。
