2023年7月27日(木)に東京都新宿区余丁町にあり源義家が苦難を切り抜けた伝承が残る厳嶋神社(抜弁天)に行ってきました。
厳嶋神社の創建は応徳3年(1086年)、鎮守府将軍であった源義家公が「後三年の役」(1083年~1087年)で奥州平定へ向かう途中に当地を訪れ高台より遠くの富士山を望み広島の厳島神社に戦勝を祈願しました。
その後、義家公は奥州平定を平定することができたのでお礼に神社を建立し御祭神に市杵島姫命を勧請してお祀りしたのが始まりです。
市杵島姫命は「弁財天」とも呼ばれ「①義家公が苦難を切り抜けた逸話」と「②参道が南北に通り抜け出来る」ことから「抜弁天」と称されました。江戸六弁天の一つで、山の手七福神を構成する弁財天でもあります。
江戸時代には、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の「生類憐れみの令」によってこの辺りには2万5千坪の犬小屋が設置されていました。
今回、実際に厳嶋神社(抜弁天)に参拝してきましたので見どころや御朱印、ご利益、アクセス・無料駐車場をわかりやすくご紹介したいと思います。
厳嶋神社(抜弁天)へのアクセス・駐車場
交通機関を利用
◎都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」下車、厳嶋神社(抜弁天)まで500m、徒歩で約7分
◎都営地下鉄新宿線「曙駅」下車、厳嶋神社(抜弁天)まで1.0km、徒歩で約15分
自動車を利用
◎カーナビに厳嶋神社(抜弁天)の住所「東京都新宿区余丁町8-5」を入力し検索
駐車場
厳嶋神社(抜弁天)に参拝者専用駐車場はありませんので近隣のパーキングを利用します。
厳嶋神社(抜弁天)の参拝と見どころ
南の鳥居
厳嶋神社(抜弁天)の南の鳥居で、「抜弁天 厳嶋神社」と書かれた扁額が掛かっています。南の鳥居から北の鳥居に通り抜けが出来るようになっており「抜弁天」の名前の由来になっています。もう一つの由来は源義家公が戦勝祈願をして苦難を切り抜けたことに由来します。
南の鳥居を潜ると左に手水、社殿、社務所とあり、参道を直進したところに見えるのが北の鳥居です。
江戸時代の水盤
手水の水盤は江戸時代の元禄16年(1703年)に奉納されたものが現存しています。しっかりと手水で心身を清めて参拝へ進みます。
弁天池
社殿の周囲には弁天池が整備され、池には清らかな水が張られ透明度の高い水中では鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。
社殿
社殿は昭和20年(1945年)の戦災で焼失しますが、昭和35年(1960年)に再建されました。木造の温かみを感じる社殿で都会の真ん中に鎮座する神社ですが、緑が多く清らかな水が流れる都会のオアシスのような場所となっています。
御祭神・ご利益
御祭神には市杵島姫命をお祀りし、商売繁盛・諸芸上達・金運向上・勝負運等のご利益で知られています。
社務所
社殿の隣にある社務所では「新宿山ノ手七福神めぐり」が開催されている正月7日の期間中は御朱印の頒布が行われています。それ以外の日は厳嶋神社から400m、徒歩で約5分の場所にある西向天神社で頂くことが出来ます。
北の鳥居
社務所の近くの鳥居は北の鳥居で、鳥居の前には昭和54年(1979年)に再建された「辨財天」の石碑が立っています。鳥居は南北2基と社殿前の1基の合計3基が境内にあります。
御朱印
御朱印は西向天神社で頂くことが可能です。
厳嶋神社(抜弁天)@新宿区余丁
ご祭神は市杵島姫命(弁才天と習合)
源義家 創建の930年を越える古社、江戸六弁天のひとつ
新宿山ノ手七福神 辨財天の御朱印を西向天神社にて頂きました pic.twitter.com/XgECAMw4G6— とりふたん (@WinterTruffle14) September 23, 2022
おわりに
厳嶋神社(抜弁天)の所要時間ですが、ゆっくり参拝した場合で約10分でした。厳嶋神社の境内は綺麗に整備・維持されており、豊かな緑や弁天池の清らかな水、木造の社殿は都会の中にあるオアシスのような場所でした。源義家公が創建してから900年以上の歴史を持つ古社で、義家公が困難を切り抜けた逸話や、現在も可能な南北の通り抜けから「抜弁天」の名前で親しまれています。境内は小さいですが歴史と見どころいっぱいの厳嶋神社(抜弁天)に是非一度参拝してみてはいかがでしょうか。
厳嶋神社(抜弁天) | |
住所 | 東京都新宿区余丁町8-5 |
電話番号 | 03-3351-5875 |
営業時間 | 終日可能 |
定休日 | 年中無休 |
拝観料 | 無料 |
アクセス | ■交通機関を利用 ◎都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」下車、厳嶋神社(抜弁天)まで500m、徒歩で約7分 ◎都営地下鉄新宿線「曙駅」下車、厳嶋神社(抜弁天)まで1.0km、徒歩で約15分 ■自動車を利用 ◎カーナビに厳嶋神社(抜弁天)の住所「東京都新宿区余丁町8-5」を入力し検索 |
駐車場 | 駐車場なし、近隣のパーキングを利用 |