【続日本100名城 第193番】臼杵城を徹底解説|大友宗麟が築いた海に浮かぶ要塞

訪問日:2025年11月15日、大分県臼杵市にある臼杵城を訪れました。
臼杵城は続日本100名城 第193番に選定されている城跡で、現在は臼杵公園として整備されています。臼杵城最大の特徴は、かつて海に囲まれた島に築かれた「海城」であることです。九州屈指の海城として知られ、続日本100名城にも選ばれています。
石垣や復元櫓、そして天守台の遺構から、戦国末期から江戸時代にかけての城郭構造を体感できる貴重な史跡です。城下町エリアや歴史的町並み保存地区にも近く、散策とあわせて楽しめるスポットとして高い人気を誇ります。本記事では、臼杵城の歴史背景から実際の散策ルート、天守台石垣の見どころ、アクセス情報まで、実際に歩いて感じた臼杵城の魅力を、写真とともに詳しく紹介します。
臼杵城とは|大友宗麟が築いた海城の歴史と特徴
臼杵城の起源は、永禄5年(1562年)にさかのぼります。戦国大名・大友宗麟が、それまでの本拠地から移り、臼杵湾に浮かぶ丹生島へ築いた「丹生島城」が始まりです。
当時の丹生島は三方を海に囲まれた天然の要害で、潮の干満を利用すれば陸路での侵入は困難でした。まさに海を堀とした防御構造を持つ城郭であり、九州でも屈指の海城として知られ、瀬戸内海沿岸の水城と並び語られる存在です。
大友宗麟はキリシタン大名としても名高く、南蛮貿易を通じて鉄砲や海外文化を積極的に取り入れました。臼杵城は軍事拠点であると同時に、海外交易の窓口としても重要な役割を担っていたと考えられています。
その後、関ヶ原の戦いを経て稲葉氏が入封し、以降15代にわたり臼杵藩の居城となりました。江戸時代に入り城郭は近世的に整備され、石垣や櫓が増築されます。
明治6年(1873年)の廃城令により建造物の多くは解体されましたが、石垣や天守台は現在も残り、大分県指定史跡として保存されています。
臼杵城の構造|天守台石垣と梯立式天守の痕跡
臼杵城最大の見どころは、文禄3年から慶長5年(1594〜1600年)頃に築かれた天守台石垣です。
発掘調査により、臼杵城には梯立式天守が存在していたことが判明しています。梯立式とは、複数の櫓を組み合わせた構造で、初期近世城郭に見られる形式です。
現在天守は現存しませんが、天守台の石垣は良好な状態で残っています。高さ約15メートルに及ぶ石積みは迫力があり、当時の築城技術の高さを感じさせます。
石垣は野面積みを基本としつつ、部分的に加工石も見られます。これは戦国期から近世初頭への過渡期を示す特徴といえるでしょう。
城内散策レポート|実際に歩いてみた
① 観光交流プラザ(登城拠点)

臼杵城散策は観光交流プラザから始まります。無料駐車場が利用でき、続日本100名城スタンプも設置されています。
展示室では城の模型や発掘資料を見学でき、登城前に歴史背景を把握できます。初訪問の方はまず立ち寄ることをおすすめします。
② 正面登城口・古橋口

臼杵城の古橋口は、西側に設けられた旧来の大手で、築城期には陸地と城郭を結ぶ主要な出入口でした。戦国期には城の表玄関とされ、今橋口の開設後も三の丸へ至る中心動線として重んじられ、周辺には重臣の屋敷や政務施設が並びました。現在も徒歩での登城では、古橋口側から入る経路が正面ルートとして案内されています。
③ 鐙坂

古橋口を進むと、二の丸へ向かう主要な登城路「鐙坂」が現れます。岩盤を掘り下げた狭い切通しが屈曲しながら続き、その形が馬具の鐙に似ていることから名付けられました。道幅は限られ、直進しにくい構造となっており、敵の進行を抑える防御線として機能します。坂の先は中門へとつながり、城内へ至る重要な動線を形成していました。
④ 中門櫓跡
中門櫓跡は、古橋口から鐙坂を上った先、二の丸西側帯曲輪の入口に位置します。外郭と二の丸正面を区切る中間防御の要で、門と櫓が一体となり枡形的空間を構成したと考えられます。現在は建物は失われ、石垣や地形に往時の面影をとどめています。
⑤ 畳櫓(二の丸)

臼杵城の「畳櫓」は、二の丸西側に立つ現存の二重櫓です。総二階の重箱造りという古式構造をもち、江戸後期に再建された建物と伝わります。古橋口側の正面景観を形づくる象徴的存在で、名称は辰巳方角の転訛や内部に畳を敷いたことに由来する説があります。
⑥ 大門櫓
臼杵城の「大門櫓」は、二の丸大手門にあたる櫓門で、近世城郭の正面を担った建物です。稲葉氏の改修期に整備され、宝暦の大火後に再建されましたが、明治期に失われました。現在の姿は平成13年(2001年)に木造復元されたもので、畳櫓と並び城跡の象徴的景観を形成しています。
⑦ 二の丸・本丸・天守台

臼杵城の大門櫓を潜ると、二の丸跡があります。臼杵城は、西に二の丸、東端に本丸を配する連郭式の海城でした。二の丸には藩主居館が置かれ、本丸とは深い空堀で区画されています。本丸東寄りの天守台には三重四階の天守が建ちましたが、現在は石垣のみが残り、公園として往時の面影を伝えています。
⑧ 大友宗麟公碑

臼杵城跡の臼杵公園に立つ宗麟公碑(像)は、築城者である大友宗麟を顕彰する記念碑です。宗麟が丹生島に城を築き、キリシタン文化や南蛮貿易を取り入れて城下を発展させた功績を伝えています。島津軍との攻防戦をしのぶ象徴としても位置づけられています。
⑨ 国崩

臼杵城二の丸に展示されている「国崩」のレプリカは、大友宗麟が入手したフランキ砲をもとに復元されたものです。その名は、敵の国さえ打ち砕くほどの威力を持つと恐れられたことに由来します。天正年間の島津軍との攻防戦では、この大砲が海城防衛の要として用いられたと伝わり、南蛮貿易によってもたらされた最新兵器として、戦国期の国際交流を象徴する存在でもあります。
臼杵城の見どころまとめ
- 大友宗麟が築いた九州屈指の海城
- 文禄〜慶長期の天守台石垣
- 復元された畳櫓
- 続日本100名城スタンプ設置城
- 臼杵湾を望む絶景ロケーション
アクセス・駐車場・基本情報
| 所在地 | 大分県臼杵市臼杵 |
|---|---|
| 最寄駅 | JR臼杵駅から徒歩約15分 |
| 入場料 | 無料 |
| 開放時間 | 常時開放(櫓内部は時間制限あり) |
| 駐車場 | 観光交流プラザ駐車場(無料) |
まとめ|臼杵城はこんな人におすすめ
臼杵城は、戦国末期から江戸初期にかけての城郭発展を体感できる、九州屈指の海城です。華やかな天守は現存しませんが、石垣や縄張りが往時の姿を雄弁に語ります。
歴史ファンはもちろん、写真愛好家や城巡りをしている方にもおすすめです。臼杵石仏や城下町散策とあわせて訪れれば、臼杵の歴史文化をより深く感じられるでしょう。
続日本100名城スタンプラリーの一城としても外せない存在です。ぜひ現地で、石垣越しに臼杵湾を望みながら、海に浮かぶ城の記憶を体感してみてください。
