【続日本100名城 第111番】向羽黒山城跡を歩く|東北最大級の天然の要害が魅力の山城

【続日本100名城 第111番】向羽黒山城跡を歩く|東北最大級の天然の要害が魅力の山城

向羽黒山城跡の山並みに広がる城域の風景

2024年7月26日、福島県大沼郡会津美里町にある向羽黒山城跡むかいはぐろやまじょうあとを訪れました。

向羽黒山城跡は続日本100名城 第111番に選定されている城跡で、現在は白鳳山公園として整備されています。

この城の最大の魅力は、東北最大級といわれる広大な曲輪群と、山全体を要塞化した天然の防御地形です。実際に歩くことで、戦国時代の築城技術や防御構造を肌で感じることができます。

向羽黒山城の歴史と築城背景|蘆名氏が築いた会津の巨大山城

向羽黒山城むかいはぐろやまじょうは、現在の福島県会津美里町にそびえる岩崎山(別名・白鳳山)の尾根一帯に展開する、中世東北を代表する山城です。遺構の規模は非常に大きく、広大な曲輪や複雑な防御線が見られることから、「東日本最大級の山城」と評されることもあります。

東北最大級の山城といわれる規模

向羽黒山城を築いたのは、戦国時代に会津地方を支配した守護大名、蘆名盛氏あしな もりうじでした。永禄4年(1561年)頃、盛氏は長年の居城であった黒川城(現在の若松城)を息子・盛興に譲り、自身は新たな居城として岩崎山山頂での築城に着手しました。

この城は単なる隠居所ではなく、盛氏が政治的・軍事的な影響力を維持するための拠点でもあったと考えられています。会津支配の安定化と周辺勢力への備えを目的に整備され、山全体を大規模に造成した城づくりは当時の蘆名氏の勢力を物語っています。

ところが天正2年(1574年)、家督を継いでいた盛興 もりおきが急逝すると情勢は変化します。盛氏は再び黒川城へ戻ることになり、向羽黒山城は一時的に主要拠点としての役割を終えたと伝えられています。

自然地形を活かした大規模な縄張り構造

向羽黒山城の大きな特徴は、城そのものが山の地形と一体化している点です。尾根と谷を巧みに取り込みながら数多くの曲輪くるわを段状に配置し、それぞれを土塁や堀切、竪堀で区画する構造になっています。

人工的な城壁に頼るのではなく、自然地形を防御に活用するのが戦国期山城の基本ですが、向羽黒山城はその発展形ともいえる存在です。現在も曲輪の平坦地や深い堀の跡が良好な状態で残り、当時の築城技術を具体的に知ることができます。

伊達氏・上杉氏時代の向羽黒山城

天正17年(1589年)、会津の支配権をめぐる争いの中で伊達政宗だて まさむねが蘆名氏を摺上原すりあげはらの戦いで破り、会津は伊達氏の勢力下に入ります。向羽黒山城についての詳細な使用記録は多く残っていませんが、戦略上重要な拠点として認識されていたと考えられています。

その後、豊臣秀吉の命によって会津に入封した上杉景勝うえすぎ かげかつの時代になると、城は再び軍事拠点として注目されます。徳川家康との対立が深まる中、景勝は会津防衛体制の強化を進め、向羽黒山城もその一翼を担う城として整備された可能性があります。現在見られる強固な土塁や複雑な堀の一部は、この時期の改修によるものと考えられています。

廃城から国史跡指定までの歩み

関ヶ原の戦いの後、上杉氏が米沢へ移封されると、向羽黒山城は軍事的な役割を失います。慶長6年(1601年)には事実上の廃城となり、建物などは次第に姿を消していきました。

近代以降、城跡の価値が見直され、平成13年(2001年)8月7日には国の史跡に指定されました。現在は広大な城域が保存され、遊歩道や解説板も整備されています。今後の発掘調査によって、東北地方の山城の実像や築城技術の解明がさらに進むことが期待されています。

向羽黒山城跡の見どころ散策ルート|曲輪と虎口を歩く

① 登城前に立ち寄りたい向羽黒山城整備資料室

向羽黒山城跡整備資料室(向羽黒ギャラリー)の外観

まずは山頂に向かう前に、麓にある 向羽黒山城跡整備資料室(通称・向羽黒ギャラリー) を訪れました。ここでは、向羽黒山城の成り立ちや調査で出土した資料、そして当時の立体模型などが展示されており、登城前に城の背景を理解するのにぴったりの施設です。展示の見学は無料でできますし、展示の内容を見てから登ると、山城の構造や歴史がぐっとわかりやすくなります。

向羽黒ギャラリーの内部をじっくり見学したい場合は、開館時間(通常は土・日・祝日の午前10時〜午後2時)に合わせて訪れるのがおすすめです。開館日や時間は季節によって変更されることがあります。訪問前に会津美里町の公式ページなどで最新情報を確認するのがおすすめです。

一方、続日本100名城のスタンプは、この資料室の入り口付近に常設で設置されています。スタンプ台は屋外に置かれているため、資料室が閉まっている時間でも押印可能なのが嬉しいポイントです。

② 主郭にあたる一曲輪(本丸跡)の見どころ

向羽黒山城跡 一曲輪(本丸跡)の平坦地と土塁跡

まずは城内でも最も重要な空間のひとつ、一曲輪いちのくるわへ。ここは向羽黒山城の中枢であり、城を象徴する場所です。この一曲輪は主郭(本丸)にあたります。尾根に築かれた平場には土塁や地形の加工跡が残り、軍事拠点としての役割が感じられます。立つと会津盆地を一望でき、監視や指揮に適した立地であったことも実感できます。

③ 石垣が残る二曲輪虎口の防御構造

向羽黒山城跡 二曲輪虎口の坂道と石積石垣

二曲輪にのくるわ虎口こぐちにはかつて門があり、出入口として重要でした。坂道には石積みの石垣が残り、南側は堀切と土塁で囲まれています。侵入を防ぐ工夫が随所に見られ、当時の防御を実感できます。

④ 生活と指揮の拠点だった二曲輪跡

向羽黒山城跡 二曲輪の細長い平場と曲輪遺構

虎口を見学した後は、二曲輪にのくるわへ進むと、城の構造がより理解しやすくなります。二曲輪にのくるわは重要な居住・指揮の拠点で、細長い平場が広がり、周囲には土塁や堀の痕跡が残っています。かつて建物が建てられ、生活空間としても使われていた可能性があります。虎口から二曲輪にのくるわへ続く道では、石積みの坂道や遺構の起伏を体感でき、戦国山城ならではの防御構造をよりリアルに感じられます。

⑤ 会津盆地を一望できる絶景ビューポイント

向羽黒山城跡 二曲輪付近から望む会津盆地の景色

二曲輪にのくるわに立つと、磐梯山を含む会津盆地の景色が一望でき、城の戦略上の重要性も実感できます。虎口での防御設備と二曲輪にのくるわの広場を順に見学することで、向羽黒山城の構造と当時の暮らしを立体的に感じられる散策ルートになります。

向羽黒山城跡のアクセス・駐車場・見学情報まとめ

所在地 福島県大沼郡会津美里町船場甲
アクセス JR只見線「会津本郷駅」徒歩約30分/磐越道「会津若松IC」から車で約25分
入場料 無料
見学時間 終日見学可
駐車場 あり(山上駐車場あり)
スタンプ設置場所 向羽黒山城整備資料室

まとめ|向羽黒山城跡で体感する会津の戦国山城スケール

向羽黒山城跡は、戦国時代に会津を治めた蘆名氏の勢力を今に伝える、東北地方を代表する大規模な山城跡です。山全体の地形を巧みに利用した縄張りは非常に広大で、曲輪や堀切、土塁などの遺構が今も良好な状態で残されています。

整備資料室で城の歴史や構造を学んでから散策すると、それぞれの曲輪や虎口の役割がより具体的にイメージでき、山城ならではの防御の工夫を実感できます。一曲輪からの眺望や、門の存在を感じさせる虎口、拠点的性格を持つ二曲輪などを順に巡ることで、戦国の城が持っていた機能が立体的に伝わってきます。

現在は遊歩道や案内板も整備され、歴史を感じながら安全に歩ける史跡となっています。会津観光の際には、ぜひ足を運び、自然地形と一体化した壮大な山城のスケールを体感してみてください。