【続日本100名城 第189番】鞠智城|熊本の古代山城を散策!八角形鼓楼・米倉・展望広場の見どころ完全ガイド

2023年11月26日、熊本県山鹿市・菊池市にまたがる鞠智城を訪れました。
鞠智城は続日本100名城 第189番に選定されている古代山城で、現在は歴史公園として整備されています。
この城の一番の特徴は、7世紀後半に全国規模の防衛戦略の一翼を担う拠点として築かれたことです。石垣の城とは異なり、土塁や城門跡、復元建物を通して古代の防御施設の姿を体感できる、全国でも貴重な史跡です。自然豊かな丘陵地に広がり、ハイキング気分で歴史散策を楽しめるのも魅力です。
鞠智城の歴史|発掘でわかった古代山城の実像
鞠智城は、飛鳥時代の7世紀後半(約1350年前)、白村江の戦い(663年)の敗戦を受けて、当時のヤマト政権が西日本の防衛を強化するために築いた古代山城のひとつです。大宰府方面の支援基地として機能し、有明海側や内陸からの侵攻に備えた防衛・物資補給の拠点として整備されていました。『続日本紀』には 文武天皇2年(698年) に大野城・基肄城とともに修理が命じられたと記録されており、7世紀後半にはすでに重要な防衛施設として機能していたことがわかります。
鞠智城跡では昭和42年度(1967年)から県による発掘調査が継続的に行われ、遺構の全貌が明らかになってきました。これまでに72棟もの建物跡、八角形建物跡、貯水池跡、土塁跡、城門跡などが相次いで発見され、古代山城として非常に大規模な施設であったことが裏付けられています。とくに八角形の建物跡は国内でも珍しく、その構造や配置から 遠方と連絡・見張り、あるいは象徴的な施設として使われた可能性が指摘されています。
発掘調査では大量の炭化米や米倉跡が確認されており、鞠智城が武器や兵糧を備蓄する大規模な物資基地としても機能していたことがうかがえています。また、発掘された荷札木簡などの木簡類は、当時の物流や人員配置まで具体的な生活の一端を伝えており、単なる軍事拠点にとどまらない多面的な役割があったことも分かってきました。
時代が下るにつれて、戦略的な軍事機能は次第に薄れ、物資倉庫や地域の拠点としての役割に変化していったと考えられています。発掘調査と文献史料から、鞠智城の使用は7世紀後半〜10世紀頃まで続いた可能性が高いとされており、古代山城としては長い期間にわたって利用されていたことが推測されています。
現在この地は 平成16年(2004年)2月27日 に国の史跡「鞠智城跡」として指定され、八角形鼓楼や米倉、兵舎などの復元建物とともに、「温故創生館」などの展示施設を通じて、発掘で明らかになった古代の生活と防衛の様子がわかりやすく紹介されています。訪れる人は、発掘成果と展示を見比べながら、鞠智城が何を守り、どのように使われていたのかを体感できます。
城内散策レポート|実際に歩いてみた
① 温故創生館(見学拠点)

鞠智城を訪れたら、最初に立ち寄りたいのがガイダンス施設の温故創生館です。入館料は無料で、駐車場に隣接して建っているためアクセスも便利です。見学前に歴史や遺構の概要を学べる、事前情報収集にぴったりのスポットになっています。
館内には発掘調査で見つかった出土品や復元模型、分かりやすい解説パネルが展示されていて、7世紀後半に築かれた古代山城の役割や当時の国際情勢まで理解できる内容です。山の上に広がる城跡を歩く前にここで予習しておくと、現地で見る土塁や建物跡の意味がぐっと分かりやすくなります。続日本100名城スタンプもここの受付付近にスタンプ設置されています。
② 復元建物エリア(鼓楼・米倉・兵舎)

温故創生館を出て歩き始めると、最初に視界に飛び込んでくるのが復元された八角形の鼓楼です。この八角形建物は、鞠智城の中でもひときわ目を引くシンボル的存在で、古代山城の遺構としては国内でも珍しい形状をしています。発掘調査でこの建物跡が確認されたことを受けて復元されたもので、当時は見張りや連絡、あるいは指揮所として機能していた可能性が考えられています。広い草地の中に堂々と佇む姿は、まるで古代国家の拠点施設を思わせる威容です。

鼓楼のすぐ先には、長い間物資を蓄えていたと考えられる米倉の復元建物が並んでいます。発掘された炭化米や土器の痕跡から、米倉は軍糧や食料の重要な備蓄場所だったことが分かります。平地に配置された米倉群は、古代山城の実用面を実感させ、単なる防御施設ではない「生活と戦略の両面」を強く印象づけます。

さらにその奥に進むと、兵士たちが身を寄せていたと考えられる兵舎の復元建物が見えてきます。発掘調査で建物跡が確認されたことをもとに復元されたこの兵舎は、当時の駐屯兵が集まる場所だったと推測されており、現地を歩くことでその広がりや規模感がよく伝わってきます。鼓楼→米倉→兵舎と進む順路は、城がどのように組織的に機能していたかを体感できる構成になっており、古代人の生活や防衛意識を身近に感じながら散策を楽しめます。
③ 長者山展望広場

兵舎の復元建物を見学したあと、少し足をのばして向かったのが長者山展望広場です。緩やかな上り坂を進んだ先に開けるこの広場は、鞠智城の広大さを実感できる絶好のビューポイント。これまで歩いてきた草地や復元エリアが遠くに広がり、古代山城というより、巨大な国家施設の一部にいるような感覚です。風が抜ける開放的な場所で、しばし休憩しながら城全体のスケールを実感しました。
④ 灰塚展望所

そこから尾根伝いに歩いていくと、視界がさらに開ける灰塚展望所に到着します。ここからは菊池川流域の平野が見渡せ、天気の良い日には遠く有明海方面まで望めることもあります。周囲を見下ろすこの高さに立つと、なぜこの地が防衛拠点として選ばれたのかがよく分かります。遠方の状況を見渡すのに適した場所で、まさに古代の見張り所として重宝されたであろう地点です。
⑤ 西側土塁

展望所を後にして進むと、道沿いに現れるのが西側土塁です。斜面に沿って築かれた土の防御壁は、派手さはないものの迫力十分です。自然の地形に溶け込むように延びる土塁のラインからは、地形を巧みに利用した古代山城ならではの築城技術が感じられます。敵の進入を食い止めるための工夫が、この静かな風景の中にしっかりと残っていました。
ワクド石

土塁をさらに歩いていくと、尾根道の脇にひときわ目を引く巨大な自然石が現れます。これは「ワクド石」と呼ばれる大きな岩で、横から見るとカエルのような形に見えることからこの名前が付けられました。古くから地域の人たちに親しまれ、訪れる人の目を引くユニークなポイントになっています。
貯水池

ワクド石のあたりから道を引き返して進むと、やがて現れるのが貯水池跡です。山の上に築かれた古代山城では、水の確保が大きな課題でした。鞠智城でも雨水などをためて利用するための設備が設けられており、この場所が城内の重要な水源のひとつだったと考えられています。現在は穏やかな草地が広がっていますが、かつては人々の暮らしや駐屯する兵の活動を支える実用的な施設がここに存在していました。
発掘調査では、この池の内部から百済からもたらされた可能性がある銅造菩薩立像をはじめ、文字の記された木簡、建物に使われた部材、さらに木材を加工するための木製農耕具など、多様な遺物が見つかっています。こうした出土品は、鞠智城が単なる防衛拠点にとどまらず、人が継続的に生活し、作業を行う場でもあったことを今に伝えています。
アクセス・駐車場・基本情報
| 所在地 | 熊本県山鹿市菊鹿町米原 ほか |
|---|---|
| 最寄駅 | 公共交通は本数が少なく、車での訪問がおすすめ |
| 入場料 | 城跡見学無料 |
| 開館時間 | 温故創生館 9:00〜17:00(変更の場合あり) |
| 休館日 | 月曜・年末年始(要確認) |
| 駐車場 | 温故創生館前に無料駐車場あり |
熊本空港や植木IC方面から車でアクセスしやすく、ドライブとあわせた歴史散策にも向いています。
まとめ|鞠智城はこんな人におすすめ
鞠智城は、戦国時代の城とはまったく異なる、飛鳥〜奈良時代の国家防衛拠点の姿を体感できる全国でも貴重な史跡です。天守や石垣はありませんが、広大な城域に残る土塁や遺構、復元建物を歩けば、古代国家が築いた防衛と物流の仕組みを立体的に感じ取ることができます。
見学は、温故創生館での展示見学から城内散策まで含めて、ゆっくり歩いて約1時間半〜2時間ほどが目安です。アップダウンはありますが登山というほどではなく、整備された園路を中心に歩けるため、歴史散策と軽いハイキングを同時に楽しめるのも魅力です。
展示施設が充実しているので歴史に詳しくない方でも理解しやすく、古代史に興味がある人はもちろん、続日本100名城スタンプ巡りをしている方にも満足度の高いスポットです。熊本観光の途中に立ち寄れば、戦国の城とはひと味違う古代ロマンをじっくり味わえるはずです。




