【日本100名城 第79番】今治城を徹底解説|海水の堀と藤堂高虎が築いた海城
2020年2月22日(土)、愛媛県今治市にある今治城を訪れました。
今治城は日本100名城 第79番に選ばれている名城で、瀬戸内海に面した珍しい海城として広く知られ、日本でも数少ない「海水を堀に引き入れた本格的な城郭」として高く評価されています。現在は吹揚公園として整備され、再建された天守や櫓、門が往時の城の姿を今に伝えています。
この城を築いたのは、築城の名手として名高く、各地で名城を築いた藤堂高虎で、海に開かれた立地を生かし、港と城を一体化させた壮大な構造は、当時の最先端の築城技術の結晶ともいえる存在です。歴史的価値はもちろん、瀬戸内海の穏やかな景観と調和した美しさも、今治城の大きな魅力になっています。
今治城とは|瀬戸内海を取り込んだ海城の歴史
今治城は、慶長7年(1602年)に築城の名手として知られる藤堂高虎によって築かれた平城で、別名を吹揚城とも呼ばれます。瀬戸内海に面した低湿地を大規模に造成して築かれたこの城は、山の地形を利用する山城とは異なり、平地に築かれた近世城郭の代表例でありながら、海水を防御に活用するという極めて独創的な構造を持つ点が大きな特徴です。
最大の見どころは、城を幾重にも取り囲む広大な水堀です。これらの堀には海水が引き込まれており、潮の満ち引きによって水位が変化します。堀の中を海の魚が泳ぐ光景は全国的にも珍しく、今治城がまさに「海に開かれた城」であることを実感させてくれます。さらに城内には、船が直接出入りできる「船入」も設けられ、物資の搬入や海上交通の管理を担っていました。軍事と物流の両面を兼ね備えた構造は、瀬戸内海の要衝を押さえる拠点としての役割を色濃く物語っています。
関ヶ原の戦いの後、藤堂高虎は伊予半国を与えられ、それまでの山城から交通の利便性に優れた海辺の平地へと拠点を移しました。こうして築かれた今治城は、高虎の築城技術の粋を集めた城でもありました。しかし城の完成後、高虎は伊勢・伊賀へ転封となり、今治城には城代が置かれます。
その後、寛永12年(1635年)からは松平(久松)氏が今治藩主となり、幕末までこの城を治めました。城は藩政の中心として機能し、城下町も瀬戸内海の海運を背景に発展していきます。明治維新後、廃城令によって多くの建物は解体されましたが、石垣や堀は壊されずに残されました。これらの遺構が評価され、昭和後期以降に復元整備が進められたことで、現在の今治城の景観がよみがえっています。
現在は史跡公園として整備され、市民の憩いの場であると同時に、海と城郭が織りなす独特の景観を楽しめる、四国を代表する歴史観光地となっています。
城内散策レポート|外堀から本丸へ歩く

今治城を訪れてまず目に飛び込んでくるのが、広大な外堀の風景です。水面はゆったりと広がり、その向こうに石垣と再建された城郭建築が重なる光景は、まさに海城ならではの迫力があります。周囲を三重に囲む堀は防御施設であると同時に、城の威容を強調する役割も果たしています。
城内へ入る正面の入口にあたるのが二の丸の表門で、平成19年(2007年)に木造で復元された鉄御門です。発掘調査や史料に基づいて再現されており、往時の姿を感じられる堂々とした構えが目を引きます。この門の特徴は、大規模な枡形を備えている点にあります。いったん敵が門を突破しても直進できない構造となっており、周囲から三方向にわたって攻撃を加えられる、極めて防御性の高い造りです。門の上には櫓が設けられ、見張りや迎撃の拠点として機能していたことがよく分かります。この堅固な門をくぐると、いよいよ城の中心部へと足を踏み入れることになります。

鉄御門を潜り二の丸から天守へ向かう道中には、築城主・藤堂高虎の銅像が立っています。戦国から江戸初期にかけて数多くの城を手がけた名将の存在を、ここで改めて意識することができます。
両側に続く石垣は規模が大きく、今治城がいかに広大な城郭だったかを実感させてくれました。
現在そびえる今治城の天守が建つ場所は、もともと本丸の北端にあった「北隅櫓」の跡地にあたります。築城当初、この位置には櫓が設けられており、城の一角を守る重要な防御拠点でした。
築城を担った藤堂高虎の時代には、五重の層塔型天守が存在していたと伝えられています。しかし、藤堂氏が伊勢・伊賀へ転封となった際、城の建物は資材として再利用するために解体され、天守も姿を消しました。
その後、江戸時代に入って今治藩を治めた松平(久松)家のもとで城は維持されましたが、天守が再び築かれることはありませんでした。
現在の天守は、昭和55年(1980年)に城郭景観整備の一環として建設された五重六階の模擬天守(鉄筋コンクリート造)です。
天守は有料エリアとなっており、入館券を購入して見学します。料金は大人が520円、大学生や専門学校生は260円です。65歳以上の方は420円で利用でき、高校生以下、または18歳未満は無料となっています。この入館券は共通券になっており、天守だけでなく、御金櫓・山里櫓・鉄御門および武具櫓もあわせて見学できます。1枚のチケットで主要な復元建物をまとめて見て回れるのがうれしいポイントです。
内部は資料展示を中心とした施設となっており、1階から5階までが展示室、最上階の6階は展望スペースとして開放されています。ここからは来島海峡や瀬戸内海の海景色をはじめ、遠く石鎚山や今治市街地まで見渡すことができ、歴史と風景の両方を楽しめる見学スポットになっています。
櫓と城郭建築|復元建物から見る江戸時代の城

天守周辺には、再建された櫓が点在しています。二の丸東隅に建つ御金櫓は二重櫓の形式をとり、城の威厳を象徴する建物のひとつです。昭和60年(1985年)に復元され、内部は郷土出身の作家の現代美術を展示する「現代美術館」として使われています。

北西側に位置する山里櫓は、二の丸の北西隅に建つ二重の櫓で、城の北西角を守る位置にありました。平成2年(1990年)に再建され、内部は藩主・松平家の武具や古美術品を展示する展示室になっています。
武具櫓は、平成19年(2007年)に発掘調査や史料をもとに、当時の構造や規模を踏まえて鉄御門と共に木造で復元された建物です。見た目だけでなく、造りにも往時の姿をできる限り反映させた本格的な復元となっています。内部は天守の観覧券で見学でき、門をくぐって武具櫓の中を進んでいくと、城門が持っていた重厚な威圧感や、敵の侵入を防ぐための緊迫した空気を自然と想像させてくれます。
水と城の風景|堀沿い散策の魅力
今治城の大きな特徴のひとつが、海水を取り込んだ三重の水堀です。城の周囲には外堀・中堀・内堀が巡らされ、いずれも海とつながって水が引き入れられる構造になっています。海城として築かれた今治城ならではの、防御と水運を兼ね備えた仕組みです。
中でも中堀の一角には船入と呼ばれる施設が設けられていました。これは小さな港のような役割を果たす場所で、当時は海から船がそのまま城内へ入り、物資の搬入などが行われていたと伝わります。城と港を直結させるこの構造は、瀬戸内海の交通の要所に位置する今治城ならではのもので、軍事拠点であると同時に物流の拠点としての機能も持たせた、非常に先進的な設計でした。
現在の城跡で特に見応えがあるのは、本丸周辺を囲む内堀と石垣です。なかでも内堀は、今治港へと続く水路によって海とつながっており、海水が出入りする全国的にも珍しい造りをしています。潮の満ち引きに合わせて水位が変化し、水面がゆるやかに揺れる様子は、まるで小さな入り江のようにも感じられます。
現地の案内板によると、堀の中にはチヌやボラ、スズキ、サヨリ、コノシロ、ヒラメ、タイ、ウナギといった魚のほか、コモンフグやウマヅラハギなどの海水魚、さらにはミナミメダカのような淡水魚も確認されているそうです。かつては敵の侵入を防ぐための重要な防御施設だった場所が、現在では多様な生きものが暮らす水辺へと姿を変えています。歴史的な城郭遺構と豊かな自然環境が同時に楽しめるのは、今治城ならではの大きな魅力と感じました。
日本100名城スタンプ設置場所と押印時間
今治城の日本100名城スタンプは、天守1階の管理事務所(入館券売り場)付近に設置されています。天守入口のすぐそばにあり、案内表示も整っているため、初めての訪問でも迷わず見つけやすい場所です。スタンプを押せる時間は、平日・土日ともに9:00~17:00まで。なお、12月29日から31日までは年末休館となるため、この期間は利用できません。訪問前に時間を確認しておくと安心です。
アクセス・駐車場情報
| 所在地 | 〒794-0036 愛媛県今治市通町3丁目 |
|---|---|
| アクセス | 西瀬戸自動車道「今治北IC」から車で約15分、JR予讃線「今治駅」から徒歩約25分、またはバス約10分 |
| 駐車場 | 今治城第1・第2駐車場あり(有料) |
まとめ|海と歴史が融合する日本100名城
今治城は、瀬戸内海の海水を堀に取り入れた日本屈指の海城であり、日本100名城にも選ばれている歴史的価値の高い城です。藤堂高虎が築いた先進的な城郭構造は、軍事拠点であると同時に、海上交通と物流の拠点としての役割も担っていました。
現在は復元された天守や櫓、そして三重の水堀が往時の姿を伝え、歴史散策と景観観賞の両方を楽しめる観光スポットとなっています。潮の満ち引きによって表情を変える海水の堀は他の城ではなかなか見られない光景で、まさに今治城ならではの魅力です。
城郭の構造をじっくり見たい歴史ファンはもちろん、瀬戸内海の絶景を楽しみたい旅行者にもおすすめできる名城です。今治観光や日本100名城巡りを計画している方は、ぜひ訪れておきたい、海と歴史が融合した代表的な海城といえるでしょう。
