【続日本100名城 第179番】河後森城ガイド|巨大堀切と尾根曲輪を歩く愛媛の戦国山城

【続日本100名城 第179番】河後森城ガイド|巨大堀切と尾根曲輪を歩く愛媛の戦国山城

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河後森城(かごもりじょう)は愛媛県松野町にある続日本100名城のひとつで、巨大な堀切と尾根上に連なる曲輪群が特徴の四国屈指の山城です。

2025年10月25日(土)、愛媛県北宇和郡松野町の中心部に位置する河後森城跡かごもりじょうあとを訪れました。
河後森城は続日本100名城 第179番に選ばれ、平成9年(1997年)には国の史跡に指定された、中世日本の山城を体感できる貴重な遺跡です。

この城は石垣や大規模な天守を持つ近世城郭とは性質が異なり、戦国時代には軍事戦略と地形を活かした戦いの最前線として機能していたと考えられています。尾根上に大小さまざまな曲輪くるわが連なり、深い堀切や土塁によって敵の侵入を阻む構造は、実戦的な戦国山城の象徴と言えます。

河後森城とは|四国南西の境目を守った中世山城

河後森城かごもりじょうは、愛媛県松野町松丸の独立丘陵上に築かれた山城で、四万十川の支流・広見川とその支流に囲まれた天然の要害の地形を活かして築かれました。標高約170m、比高差は約88mにも及び、その広大な城域は東西に馬蹄形に広がっています。

建久7年(1196)に渡辺氏が築いたとする伝承もありますが、確実な史料は少なく、詳細は明らかになっていません。古くから当地に勢力を持った黒土郷くろつちごう河原渕領と呼ばれた在地領主の存在が示されています。河後森城は、伊予(現在の愛媛)と土佐(現在の高知)の国境に近い地域にあり、南北からの勢力が衝突する境目の城として歴史の舞台に登場しました。

戦国期には、地域の支配をめぐって長宗我部氏や一条氏らの勢力が影響を及ぼし、この城にも各勢力が関与した痕跡が見られます。やがて豊臣秀吉による四国平定後、宇和郡を含む南予地域は小早川氏・戸田氏・藤堂氏・冨田氏らの支配下に入り、河後森城もその統治体制の中で支城的な役割を担っていたと考えられています。

慶長19年(1614)、宇和島藩を立藩した伊達秀宗だて ひでむねは家臣の桑折氏こおりしを付家老としてこの地を治めさせ、河後森城も拠点のひとつとして利用されたと伝えられています。その翌年に発布された元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となり、以後城としての機能を失いました。

登城レポート|風呂ヶ谷登城口から本郭へ(河後森城の登山ルート)

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河後森城への主要な登城ルートは、南西側にある「風呂ヶ谷登城口」から始まります。ここには無料の駐車場が整備されており、JR予土線「松丸駅」から徒歩10分程度でアクセス可能です。

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登城道を進むと最初の大きな見どころである西第十曲輪に到着します。

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この曲輪は城の西端に位置し、深い堀切と土塁に囲まれていることから、侵入経路を限定する防御的な構造が確認できます。ここが外郭として戦闘時に重要な役目を果たしたと考えられています。また、こちらに続日本100名城のスタンプが設置されていますので押印しましょう。

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西第十曲輪から本郭へ向かう道中は、第九曲輪から第二曲輪まで、大小の曲輪が連続して続きます。

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河後森城の第二曲輪と第三曲輪の間には、城の防御の要となる大きな堀切が残っています。尾根続きに並ぶ曲輪をあえて分断し、敵が一気に攻め上がれないようにするための重要な防御施設です。この堀切は自然地形ではなく、岩盤を削って人工的に掘り下げられた遺構です。尾根を横断する深い溝は迫力があり、山城ならではの地形利用と築城技術の工夫を実感できる代表的な見どころです。

河後森城14本郭の南西側、西第二曲輪から本郭へ続く位置には、城の中心部に通じる出入口、いわゆる虎口こぐちがありました。もともとの堀切を一部改変し、石垣を積み直す改修が行われており、戦国期の山城から近世城郭へと変化していく過渡的な様子を感じ取れるポイントです。

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本郭は、城の山頂付近、標高約170mの尾根最高所に築かれた、城の中心的な曲輪です。四万十川の支流に囲まれた独立丘陵の上にあり、敵の侵入を防ぐ天然の要害を活かした、四国の中世山城を代表する構造がよく残っています。

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本郭は、城主の居館や台所、番小屋などが置かれた場所とされ、発掘調査では複数の建物跡(推定10棟)や門跡、土塁などが確認されています。その中でも、岩盤を掘って柱を埋めた「掘立柱」の建物跡が多数残っており、屋根材に瓦が使われていた可能性も指摘されています。また本郭からは周囲の山々、松野町の集落、広見川流域の景色を一望でき、当時の城主がこの地を戦略的に位置づけていたことがよくわかります。

古城・新城エリア|多重防御の山城設計

河後森城17本郭と古城のあいだには、ひときわ存在感のある大きな堀切が残されています。尾根のくびれた部分を利用し、岩盤ごと深く削り取った溝は想像以上に迫力があり、両側に築かれた土塁や土盛もしっかりと確認できます。山城ならではの堅固な防御構造を体感できる見どころのひとつです。

この堀切は、本郭と南側の古城エリアを隔てる重要な防御ラインです。万が一攻め込まれた場合でも、ここで勢いを削ぐ構造になっていました。現在は歩きやすい道が整備されていますが、堀の深さや両岸の造りを見れば、当時は簡単に突破できる場所ではなかったことがよく分かります。

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本郭からさらに南へ進むと、いわゆる「古城」「新城」と呼ばれる曲輪群が広がっています。これらは本郭の周囲を取り囲むように階段状に連なり、敵が尾根を伝って攻め上がる際に複数の阻止ラインとなる設計です。

河後森城の広大な遺構は、単に尾根の頂上だけに形成されたものではなく、尾根全体に戦略的に配置された多数の郭(曲輪)から成り立っています。その規模は県内でも最大級とされる規模を持ち、単一の砦ではなく地域防衛の中核を担った連郭式山城としての性質がうかがえます。

春には新城の周辺に自生するオンツツジが見頃を迎え、歴史遺構と自然の色彩が調和した美しい光景を楽しむこともできます。

続日本100名城スタンプ情報

河後森城の続日本100名城スタンプは、登城道沿いにある西第十曲輪の馬屋付近に設置されています。山頂ではないため、登城前または下山時に押印するのがおすすめです。

河後森城のアクセス・駐車場・登城時間の目安

所在地 愛媛県北宇和郡松野町松丸・富岡地内
アクセス JR予土線「松丸駅」から徒歩約10分/松山自動車道 三間ICから車で約20分
駐車場 風呂ヶ谷駐車場(無料、乗用車~大型バス可)
登城時間の目安 風呂ヶ谷登城口から本郭まではゆっくり歩いて約25〜30分ほどです。

駐車場

河後森城2河後森城を訪れる際は、登城口に近い「風呂ヶ谷駐車場」の利用が便利です。駐車場のすぐ近くにはトイレも整備されており、準備を整えてから安心して散策をスタートできます。

城跡までは山道を歩くことになるため、道中には起伏のある場所や滑りやすい箇所もあります。スニーカーやトレッキングシューズなど歩きやすい靴で訪れるのがおすすめです。

まとめ|境目の城・河後森城を歩く

河後森城跡は、伊予と土佐の境目という土地に築かれた「最前線の山城」です。尾根上に連なる曲輪群や深い堀切、天然の地形を巧みに取り入れた縄張りは、実戦を強く意識した戦国山城の姿を今に伝えています。

本郭から古城・新城へと歩くことで、城が一点を守るのではなく、尾根全体を使って段階的に敵を防ぐ立体的な防御空間として設計されていたことが体感できる城跡です。

河後森城跡は、愛媛県を代表する中世山城のひとつで、巨大な堀切や尾根上に連なる曲輪群など、戦国山城の特徴を色濃く残す貴重な史跡です。続日本100名城巡りはもちろん、四国を代表する山城のひとつとして、歴史好きや山城ファンに強くおすすめできるスポットです。