【続日本100名城 第174番】大内氏館と高嶺城跡を徹底解説|山口の戦国山城と平城を歩く

2025年11月17日、山口県山口市にある大内氏館と高嶺城跡を訪れました。
両史跡は続日本100名城 第174番に選ばれており、現在は散策可能な史跡公園として整備されています。
このエリアの最大の特徴は、戦国期の山城である高嶺城跡と、平地に構えられた大内氏館が連携して築かれた点です。
石垣・土塁・堀・庭園などの遺構から、戦略上の拠点としての役割や文化的繁栄の様子を体感できます。
観光地山口市街地からも近く、歴史散策を楽しむのに最適なスポットです。
高嶺城跡とは|戦国期山城の歴史と築城背景
高嶺城跡は、戦国期の山口地域における要衝を守るために築かれた山城です。
標高338mの鴻ノ峰に位置し、大内氏最後の当主・大内義長が弘治2年(1556年)頃、毛利氏の侵攻に備えて急造した詰めの城とされています。
主郭周辺には、石工集団による規則的な竪積みの石垣が現存しており、当時の築城技術の高さを垣間見ることができます。
郭群は広大で、登城すると山頂から山口市街や周辺山並みを一望でき、戦略的な立地の重要性を体感できます。
毛利氏の支城となった後、慶長20年(1615年)の一国一城令によって廃城となりましたが、現在は発掘調査や整備事業により史跡として保存され、登城道や駐車場も整備されています。
高嶺城跡登城レポート|実際に歩いてみた
① 登城口と駐車場|城へのアクセスと駐車の注意点

高嶺城跡へは、木戸神社付近から山道に入り、そのまま車で城跡駐車場まで向かうルートが便利です。
駐車場は数台分のスペースがあり、そこから主郭まではおよそ500mの距離なので、比較的スムーズに登城できます。
ただし、駐車場へ至る道中には車同士のすれ違いが難しいほど道幅の狭い区間があります。
運転に不安がある場合は、無理をせず木戸公園の駐車場を利用するのがおすすめです。
公園から城跡駐車場付近までは徒歩で約30分ほどかかりますが、山城らしい自然の雰囲気を楽しみながら歩ける道のりです。

城跡駐車場から登城道を進んでいくと、曲輪や石垣が次第に現れはじめます。
遺構が徐々に姿を見せるため、山城特有の防御構造を間近に感じながら散策できるのも高嶺城跡の大きな魅力です。
② 広い郭|居住空間としての郭の特徴

高嶺城跡の駐車場から約300m進むと、広い郭が現れます。
山城では珍しい広さですが、これは居住空間としての役割を意識したためと考えられます。
郭の周囲は石垣ではなく切岸で囲まれ、古い大内氏時代の姿を残しています。
瓦も出土しており、後の毛利氏の時代にも使われていたことが分かります。
③ 防御構造の見どころ|石垣と主郭の魅力

広い郭を少し進むと、主郭と石垣への分岐点に差し掛かります。
ここから石垣までは約60m、主郭までは約20mです。まずは石垣の方へ向かって見学しました。

石垣は、加工をほとんど施さない自然石を用いた野面積みが中心です。
石の形を活かして組み合わせながら積まれており、どこか荒々しい雰囲気が残っています。
この素朴な造りが、戦国時代末から近世初期にかけての過渡期的な石垣であることを示しています。

主郭へ続く道沿いには、斜面に合わせて段々に積まれた石垣が見られます。その構造によって主郭は実際以上に高く感じられ、山上の要害らしい印象を強めています。なかでも南側の石垣は見上げた際の存在感が大きく、砦のような緊張感を今に伝えています。
④ 主郭|建物跡と眺望の見どころ

主郭の地表には平らな石がいくつも残っており、当時の建物を支えた礎石とみられています。
配置の様子から、主郭の広さを活かした建物が複数建てられていた可能性があります。
周辺から出土した瓦から建物は瓦葺きだったと考えられます。
高嶺城はもともと大内氏の城ですが、その後は毛利氏が城番を置き、ここを生活の場としながら山口支配の拠点として利用していたとみられています。

主郭は山麓から約290mの高所に位置し、眼下には山口盆地が広がります。
東の方角には大内氏館跡や築山跡があり、城から政治の中心地と周辺一帯を同時に見渡せる場所でした。
戦国時代後半の山上城の重要性を物語っています。
大内氏館とは|歴史と文化的背景
大内氏館は、14世紀後半に大内弘世や教弘によって築かれ、約200年間にわたり山口の政治・文化の中心地として栄えました。京都の宮廷を模した造りで、政治機能を持つ城館として平地に構えられました。
館内には、龍福寺跡に重なる土塁・堀跡、西門や池泉庭園、本堂跡などが残り、当時の威容を偲ぶことができます。また、フランシスコ・ザビエルも訪れた記録があり、宗教・文化の交流拠点でもあったことがうかがえます。
大内氏館は高嶺城を支える平城としての機能も果たしており、山城と平城の連携が戦略的に重要でした。
大内氏館散策レポート|文化と城郭を歩く
① 駐車場と続日本100名城スタンプ|アクセスとスタンプ情報

大内氏館へ行く場合は、龍福寺参道横にある大内氏館駐車場(無料・砂利)が便利です。
続日本100名城のスタンプは、駐車場からすぐの大路ロビー(10:00〜17:00、火曜休)で押せます。
まず大路ロビーでスタンプを押し、館の情報を確認してから見学を開始しました。
② 大内氏館本堂|歴史と建築の見どころ

大内氏の居館は、天文20年(1551年)の大寧寺の変で焼失し、義隆の自刃とともに一族の運命も途絶え、荒廃していました。その後、毛利元就の長男・隆元が弘治3年(1557年)に、後奈良天皇の綸旨を受け、大内義隆の供養のため、廃館となった大内氏館の跡地に龍福寺を建立しました。

龍福寺の門をくぐると、目の前に堂々たる本堂が姿を現します。本堂は、もともと大内氏の氏寺・興隆寺の釈迦堂(1521年建立)を明治期に移築した建物で、国の重要文化財に指定されています。入母屋造の屋根は桧皮葺きで、大虹梁や蟇股といった精巧な組物が今も残り、室町期の高度な建築技術を感じさせます。平成の修復により創建当初の姿に戻され、本堂の地下発掘では大内氏館の基礎も確認されました。門を潜った先で広がるこの空間は、当時の大内氏の文化や職人の息遣いを肌で感じられる、荘厳な場所です。
③ 木造で復元された西門と石組み排水溝

大内氏館の西側には、復元された木造の西門があります。当時は館内の区画を仕切る内門として使われ、日常の政務や来客の出入りを支えていました。
正門ほど大きくはありませんが、館の機能や構造を知る手がかりになります。
発掘調査では、柱の跡や支えの石、砂利敷きの地面が確認されました。
これをもとに復元された門は、木の質感や柱の組み方から当時の雰囲気を感じることができます。

西門付近の地面には、石を組んで作られた排水溝が残されています。この排水溝は館内に雨水が溜まらないように工夫されたもので、柱や門の基礎を水害から守る役割も果たしていました。
石を組み合わせることで耐久性を高め、勾配を付けて効率よく水を流す構造は、15世紀の大内氏館の技術力を今に伝えています。
④ 土塁|防御構造と戦略の工夫

西門から北へ進むと、空堀と連なる土塁が目に入ります。
初めは簡素だった防御も、領土拡大に合わせて何度も改修され、15世紀中頃にはしっかりとした土塁で館を囲む形になりました。
土塁を歩くと、戦乱の緊張感と館の繁栄の歴史が伝わってくるようです。
背後の高嶺城と連動した防衛戦略を想像すると、山上と平地を結ぶ工夫がよく分かります。
⑤ 池泉|庭園の構造と歴史

土塁から南東部に進むと、ひょうたん型の池泉庭園が広がります。南北約40m、東西約20mの池には中島も配され、護岸の石や水路の跡から当時の設計の工夫がうかがえます。
築山や回遊路も整備されており、政治・文化の中心地としての華やかさが伝わります。
発掘調査では庭園の一部に瓦や庭石が確認され、景観設計の意図が見えます。
アクセス情報|高嶺城跡・大内氏館の行き方
高嶺城跡と大内氏館は、山口市中心部から車で約10〜15分程度でアクセス可能です。
- 高嶺城跡:山口市立鴻ノ峰登山口付近の駐車場を利用、徒歩約15分で登城可能
- 大内氏館:龍福寺参道横の大内氏館駐車場(無料)、徒歩で館・庭園・西門を巡れる
- 公共交通:JR山口線「山口駅」からバスで龍福寺入口下車、徒歩約10分
- スタンプ設置:大内氏館の大路ロビー(10:00〜17:00、火曜休)
まとめ|山城と平城を歩き歴史を体感
高嶺城跡は戦国期の山城としての防御力や居住性、大内氏館は文化・政治の中心地としての機能を兼ね備えています。両史跡をセットで巡ることで、戦国時代末期の山口の要衝と文化の豊かさを体感できます。
山城の石垣や郭、館の庭園や土塁を歩くことで、戦略・文化・生活のすべてを感じられるのがこのエリアの魅力です。続日本100名城のスタンプも設置されており、城巡りファンにもおすすめです。
