【続日本100名城 第191番】中津城の歴史を徹底解説|黒田官兵衛築城の水城と細川時代の改修

【続日本100名城 第191番】中津城の歴史を徹底解説|黒田官兵衛築城の水城と細川時代の改修

続日本100名城 中津城

2023年11月25日、大分県中津市にある中津城なかつじょうを訪れました。
中津城は続日本100名城 第191番に選定されている城跡で、現在は中津城公園として整備されています。

この城の最大の特徴は、豊臣秀吉の重臣・黒田官兵衛くろだ かんべえ孝高よしたか)が築城を始め、のちに細川忠興ほそかわただおきの時代に城郭が完成したという、築城期と完成期の両方の歴史がはっきり残っている点にあります。また、中津川の河口と海を取り込んだ堀によって「水城」の景観が今も感じられ、黒田時代と細川時代の石垣を同じ堀沿いで見比べられる珍しい遺構が残っています。歴史散策と城郭観光の両方を楽しめる、見どころの多い城跡です。

この記事では、中津城の見どころ(石垣・水城構造)、模擬天守展示、続100名城スタンプ情報、アクセス・駐車場、所要時間の目安まで、初めて訪れる人にもわかりやすく解説しています。

中津城とは|歴史と築城背景

中津城の歴史は、戦国の世から江戸時代への大きな転換期と深く結びついています。豊臣秀吉が天正15年(1587年)に九州統一を達成した後、黒田官兵衛として知られる黒田孝高くろだ よしたか如水じょすいは、豊前国中津を拠点として領地経営を始めました。豊前国は現在の福岡県東部と大分県北西部にまたがる重要な地域で、ここを制することは西国支配を進めるうえで、戦略的にも重要な拠点でした。

黒田孝高は天正16年(1588年)に、この中津川の河口付近に中津城の築城を開始します。中津城は中津川と海を取り込んだ「水城」として縄張りが組まれ、川や海の堀が防御線の一部として活用される構造でした。この戦略的立地と構造により、中津城は今治城高松城と並ぶ、水を防御に取り入れた城として紹介されることもあります。

しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、黒田氏は戦功により筑前(現在の福岡県)に移されることになり、中津城の統治は別の大名に引き継がれます。関ヶ原後の中津城には、豊前国と豊後国の領地を与えられた細川忠興ほそかわ ただおきが入封しました。忠興自身はその後、小倉城を主城としましたが、中津城では息子の細川忠利ほそかわ ただとしらを通じて大規模な改修・増築が進められ、城郭の体裁が整えられていきます。特に慶長8年(1603年)以降の改修は城の機能を大きく高め、元和年間(1615〜1624年)にかけて現在に近い縄張りへと整えられました。

江戸時代になると、細川家の熊本転封に伴って寛永9年(1632年)に小笠原長次おがさわら ながつぐが入封し、城下町の整備と統治が進みます。さらに享保2年(1717年)には奥平昌成おくだいら まさしげが10万石で中津城主となり、明治維新まで奥平氏の居城として地域の政治・経済の中心地として機能しました。

明治維新後の明治4年(1871年)、廃藩置県により中津城は廃城となり、多くの建物が失われましたが、堀や石垣など城郭の主要な構造は史跡として今に伝えられています。昭和39年(1964年)には旧藩主の子孫や市民の協力により模擬天守が建てられ、歴史資料館としても活用されています。

水城としての中津城と模擬天守

中津城は、堀に海水を引き込む構造を備えた「水城」として整えられた城郭です。北を海、西を中津川に囲まれた立地を活かし、敵の侵入に備えた防御線として堀と石垣が築かれています。今治城高松城と並んで海と川を防御に取り込んだ代表的な水城として知られています。

現在そびえる天守は、1964年(昭和39年)に建てられた模擬天守です。往時に天守が存在したかは定かではありませんが、萩城の天守をモデルにしたこの建物は、周囲の石垣や堀と合わせて城郭の雰囲気を感じさせるランドマークとなっています。

中津城の石垣めぐり

黒田時代と細川時代の石垣(本丸北側)

中津城 本丸北側の薬研堀と石垣
中津城でもっともユニークな見どころの一つが、本丸北側の堀沿いに残る石垣の変化を歩いて観察することです。本丸跡の北側、現在の模擬天守のそばにある薬研堀やげんぼり周辺では、左右で石垣の雰囲気や積み方が異なる区間が連続しており、築城と改修の歴史を目で追うことができます。

中津城 薬研堀沿いに残る黒田時代と細川時代の石垣
この場所では、石の継ぎ目がY字状に分かれる独特のラインを境に、向かって右側が黒田孝高(如水)が1588年(天正16年)に普請した石垣、左側がその後の細川忠興・細川忠利による改修期の石垣とされています。黒田期の石垣は角の整った直方体の石が多用されているのが特徴で、7世紀頃の古代山城に由来する可能性がある石材の転用が指摘されています。一方で細川時代の石垣は、より自然石を活かした積み方で、高さや幅が増した継ぎ足しの部分として積まれており、時代ごとの施工技術や方針の違いが目に見える形で残っています。

鉄門跡に残る古代山城の石垣(中津川沿い)

中津城 鉄門跡付近の石垣
中津城の本丸西側、中津川沿いにある鉄門くろがねもん周辺の石垣は、石垣観察が好きな人なら見逃せないポイントです。この門は江戸初期の改修期に整備された防御施設で、現在は門そのものは失われていますが、周囲の石垣に当時の築城の痕跡を見ることができます。

中津城 鉄門跡石垣に使われた古代山城由来の石材
この場所の大きな特徴は、石垣の一部に古代山城「唐原山城とうばるやまじろ」の石材が再利用されている可能性がある点です。黒田孝高が中津城の築城を進めた天正期、すでに加工されていた古い石材を運び、城の要所に用いたと伝えられています。直方体に近い形に整えられた石が混じっているのが見分ける手がかりです。

黒田期・穴太積みの石垣(本丸南側)

中津城 本丸南側 黒田孝高築城期の石垣

中津城の本丸南側(中津城第一駐車場付近)には、黒田孝高(如水)が1588年(天正16年)に築城を進めた当時の石垣が残っています。これは当時の城郭技術を伝える貴重な遺構です。

この石垣は、自然石をほとんど加工せずに組み上げる 穴太積あのうづ と呼ばれる技法で築かれており、石と石の間に小石を詰めて安定性を高める工夫が見られます。穴太積みは、戦国時代に広まった石垣技術の一つで、自然石の形を生かしながら高い耐久性を生み出すのが特徴です。

石垣の出角でずみの部分では、石を交互に組み合わせる算木積さんぎづが用いられ、崩れにくい構造になっているのも見どころです。黒田時代の石垣はその後の細川時代に積み増されて現在の高さになっていますが、基礎部分は戦国期の技術そのままに残っているため、築城当時の姿を偲ぶことができます。

天守内部・展示と眺望

中津城の模擬天守 外観 大分県中津市

中津城の現在の天守は、昭和39年(1964年)に建てられた模擬天守で、本丸の石垣の景観と調和する近代の建造物として整備されています。ただし、当時の天守の詳細を示す確かな史料は残っていないため、観光施設と歴史展示施設の役割をあわせ持つ建物です。

中津城模擬天守内部の歴史資料展示
内部は歴史資料館として公開されており、城の歴史や城主にまつわる様々な史料が紹介されています。ここでは、城が築かれた戦国期から江戸時代、さらには廃藩後に至るまでの中津城の歩みを紹介しています。古文書や甲冑・武具などの展示を通じて学ぶことができます。また、黒田官兵衛(孝高)や細川忠興など、この城にゆかりの深い人物に関する展示もあり、訪問者が時代ごとの城の変遷を理解しやすい構成になっています。

最上階の展望スペースからは中津市街や中津川、遠く海まで見渡すことができ、水城としての立地の良さを実感できます。

続日本100名城スタンプ情報

続日本100名城 中津城スタンプ設置場所

中津城の続100名城スタンプは城内の天守内部で押印できます。押印できる場所は、天守内部にある売店や受付付近で、入城料(大人1,000円・子ども500円)が必要です(天守内の展示見学にも入城料が共通)。スタンプの押印時間は、午前9時〜午後5時までで、年中無休で利用できます。

アクセス・駐車場・基本情報

所在地 大分県中津市二ノ丁本丸1273-2
最寄駅 JR日豊本線「中津駅」から徒歩約15分
入場料 大人1,000円/子ども500円(ドリンク付き)
開館時間 9:00〜17:00(年中無休)
駐車場 観光客向け駐車場あり(無料〜有料・現地案内による)

車でのアクセスは国道10号や県道108号から案内表示に従って進めば安心です。

まとめ|水辺の要塞に刻まれた二つの時代の物語

中津城は、黒田孝高(如水)が築き、細川忠興の時代に整えられた歴史を今に伝える、全国でも珍しい「築城期と改修期の違いを実際に見比べられる城」です。川と海に囲まれた水城ならではの開放的な景観の中で、同じ堀沿いに残る異なる時代の石垣を見比べながら歩ける体験は、ここでしか味わえない大きな魅力といえるでしょう。

さらに、古代山城の石材が再利用された痕跡や、戦国期の技術を伝える穴太積みの石垣など、城好きにはたまらない見どころがコンパクトな城内に凝縮されています。模擬天守の展示で歴史背景を学び、最上階から水辺の町並みを眺めれば、なぜこの地が重要拠点だったのかも実感できるはずです。

続日本100名城スタンプも設置され、アクセスも良好です。歴史散策・城郭観察・観光の楽しさをバランスよく味わえる一城として、初めて訪れる場合は、「本丸北側の薬研堀 → 鉄門跡 → 本丸南側の穴太積み石垣 → 天守内部展示」の順で巡ると、中津城の石垣の変遷と水城の構造を効率よく体感でき、所要時間は約1.5〜2時間ほどです。歩くほどに歴史の重なりが見えてくる、散策が楽しい城郭となっています。