【続日本100名城 第181番】小倉城を徹底解説|唐造り復興天守と野面積み石垣を歩く

【続日本100名城 第181番】小倉城を徹底解説|唐造り復興天守と野面積み石垣を歩く

小倉城1

2023年11月24日、福岡県北九州市にある小倉城こくらじょうを訪れました。小倉城は続日本100名城 第181番に選定され、現在は勝山公園の一角として整備されています。

この城の魅力は、全国的にも珍しい「唐造り」様式の復興天守や、宮本武蔵関連の展示、そして四季折々の風情を見せる庭園と威厳ある石垣の数々です。城跡を歩けば、戦国・江戸時代の防御構造や城郭設計の巧妙さを肌で感じ取ることができます。

小倉城の歴史|築城期から現代まで

ここでは、福岡県北九州市にある小倉城こくらじょうが、戦国時代から現代にかけてどのように変遷してきたかを、年代順にわかりやすく整理します。

  • 永禄12年(1569年) 毛利氏による築城の始まり
    戦国時代末期、九州と本州・中国地方を結ぶ要衝として重要視された当地に、中国地方の戦国大名毛利氏もうりしがこの地に城郭の基盤を築いたと伝えられています。紫川の河口近くに設けられたこの城は、河川と海運を意識した簡易的な城郭でした。
  • 慶長7年〜慶長13年(1602年〜1608年) 細川忠興による本格築城
    関ヶ原の戦い(慶長5年/1600年)の戦功により豊前一国を与えられた細川忠興ほそかわただおきが本格的な築城工事を開始。城郭全体の縄張り、曲輪、櫓・門などが整えられ、近世城郭として完成しました。
  • 築城工事の特徴
    忠興の築城では、堅牢な石垣や広大な曲輪が築かれ、天守は当時の大名居城として相応しい規模を備えていたと考えられています。石垣には巨石や職人の刻印が残り、築城当時の技術の高さを今に伝えています。
  • 江戸初期(慶長期〜寛永期) 城下町の形成
    江戸幕府成立後、小倉城下では城郭を中心に商人町や武家地が整備され、物流・商業・行政の拠点として発展しました。本州と九州を結ぶ交通の要衝として人と物資が行き交い、北九州地域の政治・経済の拠点として発展しました。
  • 明治維新〜旧天守の消失
    明治維新後、小倉城は廃城令により一部建物が取り壊されました。明治8年(1875年)には旧天守が失火で焼失し、城郭の主要建造物はほとんど現存しなくなりました。
  • 昭和期の復興天守
    昭和34年(1959年)、地域住民や自治体の要望により、鉄筋コンクリート造で五重六階の天守が復元されました。天守は各層が上階に行くほど大きくなる唐造からづくりで、全国でも珍しい意匠です。内部には宮本武蔵の展示や展望室が設置され、天守は最高部約48mに達し、遠くからでも目を引く堂々とした姿を見せています。
  • 現代の小倉城
    現在の小倉城跡は勝山公園として整備され、散策や観光を楽しめる歴史スポットになっています。特に本丸・二の丸に残る曲輪や野面積み石垣(全長約300m・高さ最大約15m)は見応えがあり、築城当時の技術を今に伝える貴重な遺構です。

このように、小倉城は戦国期の築城から江戸期の城下町形成、明治の焼失、昭和の復興を経て、現在も北九州を代表する歴史スポットとして親しまれています。

城内散策レポート|実際に歩いてみた

① 大手門跡(正門)

小倉城 大手門跡 石垣

小倉城の大手門跡は、かつて本丸へ通じる正面玄関として重要な役割を担っていた場所です。門の建物は失われましたが、周囲に残る大きな石を用いた石垣から、その規模と威厳を感じ取ることができます。城下町から本丸へ向かう主要ルートの出発点でもあり、当時ここが城の象徴的な入口だったことがうかがえます。石垣の積み方は当時の防御構造「野面積み」に基づき、その頑丈さはもちろん、城主の権威を象徴する意匠としても機能していました。

もともと江戸初期には正門の位置が異なり、細川忠興の時代は西ノ口門がその役割を果たしていました。その後、小笠原氏の時代に現在の場所へ大手門が移され、城下から本丸へ至る経路が整えられます。さらに手前には大手先門が設けられ、段階的に守りを固める構造になっていました。

② しろテラスと続100名城スタンプ

小倉城 しろテラス 外観
天守近くにある「しろテラス」は、観光案内と物販が一体になった便利な立ち寄りスポットです。城の見学前後に休憩できるスペースがあり、北九州ゆかりの土産品や城グッズも充実しているため、観光の拠点として利用しやすい施設になっています。

小倉城 しろテラス 内観
続日本100名城めぐりをしている方にとって見逃せないのが、スタンプの設置場所が「しろテラス」になっている点です。スタンプ帳を持参していれば、この施設内で押印できます。天守の観覧ルートからも立ち寄りやすい場所にあるため、登城記念を残すスポットとして覚えておくと便利です。

③ 天守閣外観(唐造り5重6階)

小倉城 唐造り天守 外観

小倉城の天守は昭和34年(1959年)に再建された復興天守であり、外観が当初の姿とは大きく異なっています。江戸時代に細川忠興が築いた元の天守は、4重5階で最上階以外に破風(屋根の装飾的なひさし)がなく、屋根装飾を最小限に抑えたシンプルな層塔そうとうで、実用性を重視した設計が特徴でした。

しかし現在の天守は、再建の際に外観の装飾性が重視され、多数の破風が付けられた望楼ぼうろうに変化しています。1階には大きな入母屋破風が設けられているほか、上層にも比翼千鳥破風や唐破風など多彩な屋根飾りが配置されており、外観全体に重厚で華やかな印象を与えています。

④天守閣内観

小倉城天守の観覧料は大人350円、中高生200円、小学生100円です。館内は戦国から近世にかけての歩みを紹介する展示と、体験要素を交えた構成で、楽しみながら学べる内容です。
1階では城の歴史を紹介する映像や衣装体験が用意され、成り立ちを分かりやすく理解できます。2階は細川氏や小笠原氏など歴代城主と城下町の発展を紹介するフロア、3階は宮本武蔵と佐々木小次郎に関する展示が中心です。4階では時期ごとに内容が変わる企画展が開かれています。
最上階の5階は展望エリアで、北九州市街や関門海峡方面を見渡せる景色が広がり、休憩しながら眺望を楽しめる空間も整っています。

⑤ 本丸石垣と防御構造

小倉城 本丸 野面積み石垣

小倉城の本丸を取り囲む石垣は、戦国時代から近世初期の築城技術をよく伝える野面積みのづらづみの形式で造られています。この工法は、加工を最小限にとどめた自然石を組み合わせ、石どうしの噛み合わせや重力を生かして安定性を高めるものです。城跡に残る石垣は高さ最大約15m、長さ約300mにわたり続く堅固な防御構造として築かれました。

なかでも存在感を放つのが鏡石かがみいしと呼ばれる大きな石材で、他の石と比べてひときわ大きなサイズを持つため、築城当時の石工たちの技術と大胆な設計がうかがえます。また、石垣のいくつかには刻印が残されており、これらは当時の工匠(いわゆる石工集団)が自分たちの仕事を示すために刻んだ印と考えられています。

アクセス・駐車場・基本情報

所在地 福岡県北九州市小倉北区城内
最寄駅 JR小倉駅から徒歩15〜20分、西小倉駅から徒歩10分
入館料 天守入館 大人350円、中高生200円、小学生100円
開館時間 9:00〜17:00
休館日 月曜・年末年始
駐車場 勝山公園地下駐車場(400台)

▶ 最新の開館日・料金は公式サイトもご確認ください
小倉城公式サイト

まとめ|小倉城はこんな人におすすめ

小倉城は、戦国の築城から近世城郭への発展、そして現代の復興天守へと続く歴史の流れを一か所で感じられる貴重な城跡です。豪華な唐造り天守の外観、武将ゆかりの展示、そして野面積み石垣に代表される実戦的な防御構造など、見どころは実に多彩。歩みを進めるほどに、城としての防御力と城下町の中心地としての重みの双方を実感できます。

天守の展望フロアから眺める北九州の街並みは、かつてこの地が交通と物流の要衝だったことを実感させてくれる景色です。歴史を学びたい人はもちろん、散策や写真撮影を楽しみたい人にも満足度の高いスポットといえるでしょう。

続日本100名城スタンプの設置城でもあるため、城巡りをしている方にとっても外せない一城。周辺の庭園や記念館とあわせて巡れば、小倉という城下町の魅力をより深く味わえます。

「見る・学ぶ・歩く」がバランスよく楽しめる小倉城は、観光客から城好きまで北九州を訪れたらぜひ立ち寄りたい歴史スポットです。