【続日本百名城 第109番】米沢城ガイド|土塁と水堀で巡る上杉氏30万石の歴史

2024年11月23日(土)、山形県米沢市にある米沢城を訪れました。
米沢城は続日本百名城 第109番に選定された城跡で、現在は本丸跡を中心に「松が岬公園」として整備されています。
石垣をほとんど用いず、土塁と水堀を主軸とした縄張りが今も良好に残り、上杉氏の城下町統治を体感できる史跡です。
米沢城とは|松川の地形を活かした輪郭式平城
米沢城は、松川の扇状地に築かれた平城で、本丸を中心に二の丸・三の丸を同心円状に配した輪郭式城郭です。
高石垣や天守を持たず、深い水堀と厚い土塁を防御の要とする構造は、実戦性と維持性を重視した戦国〜近世初期の城づくりをよく伝えています。
築城の始まりは暦仁元年(1238年)、出羽国置賜地方を支配していた長井時広が拠点としたことに遡ります。
その後、伊達氏の居城となり、特に伊達政宗の生誕地として知られています。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津へ移封された際、米沢城は家臣の直江兼続によって城代として整備が進められました。
関ヶ原の戦い後、上杉氏は会津120万石から米沢30万石へと大幅に減封されますが、以後はこの地を本拠として明治維新まで統治を続けます。
天守は築かれず、城の象徴は御三階櫓が担いました。
明治6年(1873年)の廃城令により建物は失われましたが、現在も土塁・堀・曲線的な縄張りが良好に保存されています。
城内散策レポート|舞鶴橋から本丸跡へ

米沢城跡は現在、上杉神社の境内として整備されており、外堀に架かる舞鶴橋を渡ることで、往時の本丸跡へと入っていきます。
舞鶴橋は、上杉神社の参道橋として明治19年(1886年)に架けられた歴史ある橋で、現在の姿は往時の趣を伝えるものです。その文化的価値が評価され、平成10年(1998年)には国の登録有形文化財に指定されました。城跡散策の起点として、歴史を感じながら渡りました。

城内に進むと、昭和49年(1974年)に建立された、上杉謙信公の等身大座像があります。像は、謙信が生涯を通じて拠点とした越後・春日山城の方角を望むように据えられており、米沢に移封された後も越後上杉家の精神を継承する姿勢を象徴しています。
右手には軍勢を指揮するための采配を、左手には太刀を携え、頭には謙信公の肖像で知られる頭巾をまとっています。

こちらにある天地人の像は、NHK大河ドラマ『天地人』(2009年放送)を記念して建立された、上杉景勝公と直江兼続公の主従像です。
上杉謙信公の像の近くに配置されており、謙信の志を継いで米沢藩を治めた景勝と、その右腕として藩政と軍事を支えた兼続の関係性を象徴しています。
像は、戦国の激動を乗り越え、米沢の地で新たな藩づくりに挑む二人の姿を表現しており、「義」と「愛」を重んじた上杉家の精神を今に伝える存在です。歴史ファンはもちろん、大河ドラマゆかりの地としても多くの観光客が訪れる、米沢城の見どころのひとつとなっています。

天地人の像近くの一角にあるのが、上杉家9代藩主・上杉鷹山の銅像です。
江戸時代後期、深刻な藩財政の立て直しや人材育成に尽力し、米沢藩を再生へ導いた名君として知られています。
「なせば成る」に象徴されるその実践的な姿勢は、今もなお多くの人の心に息づき、この地で静かにその功績を語りかけてくれます。

参道を進むと、米沢城本丸跡に上杉謙信公を御祭神とする上杉神社が鎮座しています。
上杉神社は明治時代に創建され、後に米沢藩の名君として知られる上杉鷹山公も合祀されました。現在の社殿は、大正8年(1919年)の大火後、大正12年(1923年)に再建されたもので、落ち着いた佇まいの中に歴史ある神社ならではの格式と風格が感じられます。
謙信公にちなむ勝運・開運招福・学業成就のご利益で知られ、境内の宝物殿「稽照殿」では上杉家ゆかりの文化財を通して、その歩みと精神に触れることができます。

米沢城跡の本丸南側へ進むと、鮮やかな朱塗りが目を引く菱門橋が現れます。この場所は、かつて上杉藩主の御殿から南へ通じる出入口が設けられていた要所で、通行が厳重に管理されていたことから「秘し門」と呼ばれたのが名の由来とされています。堀に架かる赤い橋は、周囲の石垣や水面と美しく調和し、春の桜や秋の紅葉の季節には特に印象的な景観を生み出します。公園内に位置し自由に見学できるため、上杉神社参拝や城跡散策の途中に立ち寄りたい、米沢城跡を代表する見どころのひとつです。
続日本百名城スタンプ

続日本百名城スタンプは、上杉神社境内の米沢観光コンベンション協会 観光案内所に設置されています(開館時間 9:00〜17:00)。
水堀と「毘」の意匠を組み合わせた、米沢城らしいデザインのスタンプです。
米沢城の御城印
米沢城の公式御城印「墨城印」も米沢観光コンベンション協会 観光案内所で入手可能です。明治20年代の米沢城本丸図をもとに、墨絵師御歌頭氏が書き下ろしたデザインで、墨の濃淡を生かした力強い趣が特徴です。価格は1枚330円。城跡散策や上杉神社参拝の記念におすすめの一枚です。
米沢城の歴史を振り返る
- 嘉禎4年(1238年):長井時広が築城
- 延文元年(1356年頃):伊達氏の本拠地化
- 天文17年(1548年):伊達政宗誕生
- 慶長6年(1601年):上杉景勝が入封、直江兼続が整備主導
- 明治2年(1869年)まで:上杉氏が米沢藩30万石統治
- 明治6年(1873年):廃城
- 平成29年(2017年):続日本百名城に選定
訪問のポイントとアクセス・駐車場
| 所在地 | 山形県米沢市丸の内1(松が岬公園) |
|---|---|
| アクセス | JR米沢駅からバス約10分「上杉神社前」下車 |
| 所要時間 | 城跡のみ約1時間、資料館含め半日 |
| スタンプ | 上杉神社境内 観光案内所 |
駐車場

米沢城(松が岬公園)の駐車場はお堀の北側にあります。駐車場は無料で利用可能で、収容台数は約300台と大規模なので、通常時は車でもアクセスしやすいです。米沢中央ICや米沢駅から車で10〜15分程度の好立地ですが、上杉雪灯篭まつりなどのイベント時は一般利用不可になる場合があるのでご注意ください。隣接する上杉城史苑にはお土産屋さんとレストランがあり、豊富な品揃えで城跡散策後の休憩にぴったりです。
まとめ|土塁と水堀が今に伝える上杉氏の城
米沢城は、天守こそ持たないものの、土塁と水堀を巧みにめぐらせた防御構造が特徴的な城跡でした。上杉氏が会津から移封され、三十万石の米沢藩として再出発した拠点であり、減封という逆境を乗り越えた藩政の知恵と精神が今もこの地に刻まれていると感じました。
城跡めぐりでは、舞鶴橋や菱紋橋、本丸跡をはじめ、上杉謙信公と上杉鷹山公の像、上杉神社、稽照殿など、上杉家の歴史を語る史跡が点々と続きます。朱色が鮮やかな菱紋橋は、写真撮影スポットとしても人気です。
土塁や水堀が描く柔らかな曲線を眺めていると、華やかさよりも堅実さを重んじた上杉流の城づくりが浮かび上がってきます。続日本百名城にも選ばれた米沢城は、静けさの中に確かな歴史の重みを感じさせる、歩くほどに味わい深い城跡だと思いました。
