【続日本100名城 第165番】大和郡山城の転用石|石垣に残る羅城門礎石と逆さ地蔵

訪問日:2026年2月22日
奈良県大和郡山市にある大和郡山城は、続日本100名城 第165番に選定され、現在は郡山城跡公園として整備されています。
奈良盆地南西部に位置する大和郡山城は、戦国時代から江戸時代にかけて大和国を統治する重要な拠点として発展しました。天守などの建造物は現存しませんが、石垣や堀、曲輪の地形が良好に保存されており、往時の城郭構造を現地で体感できる貴重な史跡です。
城内の石垣には、寺院の礎石や石仏、石塔、地蔵などを再利用した転用石の石垣が残っています。特に、平城京の羅城門の礎石とされる石や、上下逆に組み込まれた地蔵などは特徴的で、大和郡山城の見どころの一つです。石垣を観察することで、築城の過程や地域の歴史が重なり合う様子を読み取ることができます。
この記事では:
- 大和郡山城の歴史
- 城内の散策ルート
- 転用石の石垣の見どころ(羅城門礎石・逆さ地蔵)
- 天守台からの眺望
などを、実際の見学順に沿って詳しく紹介します。
大和郡山城とは|大和支配の中心となった城
大和郡山城は西ノ京丘陵南端に築かれた平山城で、奈良盆地の交通の要衝に位置しています。戦国時代以降、大和国を統治する政治・軍事の拠点として発展しました。
築城を進めたのは戦国大名の筒井順慶で、天正8年(1580年)頃から本格的な城郭整備が始まり、織田信長の支援を受けながら城の拡張が進められました。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉の弟、豊臣秀長が入城し、城と城下町の大規模整備を行います。さらに豊臣政権の五奉行の一人、増田長盛が城主となると、城は惣構えを備えた大規模な城郭都市へと整備されました。
江戸時代には水野氏、松平氏、本多氏などの譜代大名が城主を務め、享保9年(1724年)には柳沢吉里が甲府から移封され、郡山藩は幕末まで柳沢家によって統治されました。
明治維新後の廃城令で多くの建物は取り壊されましたが、石垣や堀などの遺構は現在も残されています。令和4年(2022年)には郡山城跡が国史跡に指定され、その歴史的価値が改めて評価されました。
大和郡山城の歴史年表
次の表に、城の主要な歴史的出来事を整理しました。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 天正8年(1580年)頃 | 筒井順慶が郡山城の整備を開始 |
| 天正13年(1585年) | 豊臣秀長が入城し城と城下町を大規模整備 |
| 文禄年間(1592〜1596年) | 増田長盛が城主となり城郭都市として発展 |
| 慶長5年(1600年)頃 | 関ヶ原の戦い後に天守が解体されたとされる |
| 享保9年(1724年) | 柳沢吉里が甲府から移封され郡山藩主となる |
| 明治初期 | 廃城令により城郭建築が撤去 |
| 令和4年(2022年) | 郡山城跡が国史跡に指定 |
城内散策|転用石を見ながら歩く見学ルート
① 郡山城情報館で城の歴史を学ぶ(散策のスタート)
大和郡山城の無料駐車場近くにある郡山城情報館は、大和郡山城の敷地内に設けられた無料の案内施設です。江戸時代に「緑曲輪」と呼ばれていた場所に建てられており、城の歴史や石垣、縄張りなどについて分かりやすく紹介しています。

館内には城の復元模型や解説パネル、発掘調査の成果などが展示されており、見学前に立ち寄ることで郡山城の構造や見どころを把握しやすくなります。建物の近くには無料駐車場も整備されており、散策の出発地点として便利です。
② 厩跡周辺

郡山城情報館の隣には大和郡山城の本丸西側にあたり、内堀を挟んだ南北に細長い曲輪があります。中央で区切られ、北側が厩曲輪、南側が緑曲輪となっていました。
厩曲輪は馬を管理する建物や施設が集まった区域で、城絵図には西厩や東厩、鞍部屋などが描かれています。特に西厩は約78メートルの長さを持つ大規模な厩舎でした。
内堀沿いの広い通路は馬場として利用され、馬の調教の場となっていました。当時、馬は重要な軍事資源であったことを示す施設です。
③ 織豊期から続く大和郡山城の石垣

大和郡山城跡を象徴する遺構の一つが石垣です。石垣の整備は豊臣秀長の入城後に本格化し、『多聞院日記』には石材を集めた記録が残っています。
現在残る石垣には自然石や割石、切石などさまざまな石材と積み方が見られ、現在の石垣から、織豊期以降の築城技術の変遷をうかがい知ることができます。
④ 柳沢文庫と続日本100名城スタンプ

柳沢文庫は本丸跡近くにある歴史資料館で、郡山藩主を務めた柳沢家に伝わる古文書や美術品を保存・公開しています。昭和35年(1960年)の寄贈をきっかけに設立され、城や城下町の歴史を学べる施設として親しまれています。館内では企画展や講演会も開催され、続日本100名城のスタンプは受付付近に設置されています。
⑤ 極楽橋

極楽橋は本丸と毘沙門曲輪を結ぶ木橋で、かつて本丸への正式な登城ルートでした。江戸時代には儀礼的な通路として重要な役割を持ちましたが、明治初期の廃城で失われました。その後、発掘調査や史料をもとに復元され、現在は江戸時代の姿を参考にした反りのある木橋として整備されています。
⑥ 天守台と転用石の石垣


天守台に到着すると、城内でも特に多くの転用石を見ることができます。寺院の礎石や五輪塔、石仏、地蔵、墓石、石臼などが石垣に組み込まれており、築城時の事情を今に伝えています。
⑦ 羅城門の礎石と逆さ地蔵

天守台の石垣の中で特に目を引くのが、古代平城京の羅城門に使われていたと伝わる大きな石です。羅城門は平城京の南端に建てられた主要な門で、都の正門としてその規模や装飾の豪華さから重要視されていました。この石は天守台の角部分に組み込まれており、城内に残る転用石の中でも代表的な存在です。
かつて都の象徴であった門の礎石が、戦国期に築かれた大和郡山城の石垣に再利用されていることは、この城ならではの特徴的な景観の一つであり、城の歴史と地域の古代史が重なり合う面白さを感じさせます。

本丸周辺の石垣には、寺院や墓地から移された石仏や地蔵が組み込まれている箇所がいくつか見られます。その中でも特に目を引くのが、天守台の北側にある「逆さ地蔵」です。文字通り、この地蔵は上下逆さまの状態で石垣に埋め込まれており、他の石材とともに城の構造の一部となっています。
この地蔵には大永3年(1523年)の刻印が残っており、城が建てられる以前に造られたものであることが分かります。現在も定期的に供養が行われ、城と地域の歴史を伝える象徴的な存在として大切に守られています。
⑧ 天守台からの眺望

石段を登って天守台に上がると、城内の曲輪配置や堀の形を一望できます。

台上には発掘調査で見つかった礎石などが展示されており、かつて存在した天守の規模を想像することができます。
発掘された瓦の中には金箔瓦も含まれており、豊臣政権期の天守が非常に豪華な装飾を持っていた可能性が指摘されています。
アクセス・駐車場・基本情報
| 所在地 | 奈良県大和郡山市城内町 |
|---|---|
| 最寄駅 | 近鉄郡山駅から徒歩約15分 |
| 入場料 | 無料 |
| 駐車場 | 郡山城情報館に無料駐車場あり |
まとめ|転用石の石垣が語る大和郡山城の魅力
大和郡山城は戦国時代から江戸時代にかけて大和国の政治・軍事の中心として発展した城であり、建物は残っていませんが、石垣や堀、曲輪の地形など、当時の城の構造や歴史を今に伝える遺構が多く残されています。中でも、寺院や古墳から移された礎石や石仏、地蔵を組み込んだ転用石の石垣は、築城当時の工夫や地域の歴史の重なりを実感させてくれます。平城京の羅城門の礎石や、上下逆さまに組み込まれた「逆さ地蔵」といった石材は、城の景観を特徴づけるとともに、古代から戦国期、江戸期まで続く時間の流れを物語っています。天守台から望む城内の曲輪配置や水堀、柳沢文庫に残る郡山藩の文化資料とあわせて巡ることで、訪れる人は城郭の造形美だけでなく、地域の歴史や文化の息吹も感じ取ることができます。歴史や城郭に興味のある方にとって、大和郡山城は学びと発見の多い魅力的な場所です。ぜひ実際に訪れて、その歴史を体感してみてください。
