【続日本100名城197番】志布志城跡を歩く|シラス台地を刻む巨大空堀が圧巻の中世山城

【続日本100名城197番】志布志城跡を歩く|シラス台地を刻む巨大空堀が圧巻の中世山城

志布志城跡2

2024年9月25日、鹿児島県志布志市にある志布志城跡しぶしじょうあとを訪れました。
志布志城跡は「続日本100名城 第197番」に選定されており、現在は内城を中心とした範囲が国の史跡に指定され、遊歩道が整備された歴史公園として公開されています。

この城の最大の魅力は、シラス台地を深く削り込んだ巨大な空堀と土塁が織りなす立体的な縄張りです。実際に歩くと、中世山城ならではの防御構造を体感でき、戦乱の時代にこの地がいかに重要だったかを実感できます。

志布志城の歴史と築城の背景|海と陸を押さえた要衝の城

志布志城跡しぶしじょうあとは、志布志湾に近い内陸のシラス台地上に築かれた大規模な中世城郭です。海上交通と内陸部を結ぶ拠点に位置し、軍事・流通・政治の面で、非常に重要な場所でした。

築城の始まり|南北朝期にはすでに存在

志布志城の正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代にはすでに城が存在していたことが史料から確認されています。特に古い段階では「松尾城」が中心と考えられ、この地域をめぐる争いの舞台となっていました。

14世紀には志布志周辺で武士勢力の対立が激化し、志布志城は、地域支配の拠点としてたびたび戦いに巻き込まれました。こうした経緯から、この城が早くから戦略上重要な地点であったことがうかがえます。

戦国期の拡張|前線拠点としての城の発展

15世紀後半になると、日向方面の勢力との抗争が本格化し、志布志城は防御力を高めるため大規模に拡張されました。もともとの松尾城や内城に加え、高城や新城といった曲輪群が整備され、山全体が要塞化される構造へと発展しました。

城主は一定せず、時代ごとに有力武将が入れ替わりながらこの地を支配しました。こうした変遷からも、志布志が常に有力勢力の拠点として重視されていたことが分かります。
なお志布志城は、内城を中心に南側に松尾城、西側の尾根に高城、さらに外縁部に新城が配置されるなど、山全体を使った連郭式の大規模な城郭構造を形成していました。

島津氏支配下の志布志城|南九州統治の拠点

16世紀に入ると、薩摩・大隅・日向をめぐる争いの中で志布志城はさらに重要性を増し、やがて島津氏の勢力下に組み込まれました。大隅東部や日向方面をにらむ軍事拠点として機能し、広い地域の動向に影響を与える城となりました。

廃城と国史跡指定

天下統一の流れの中で戦乱が収まると、志布志城は前線基地としての役割を終え、次第に使われなくなったと考えられます。その後も大規模な開発が入らなかったため、シラス台地を削って造られた空堀や土塁が、良好な状態で残りました。

現在は内城と松尾城の一部が国史跡に指定され、学術的にも評価の高い中世城郭遺構として保存・整備されています。

志布志城跡を歩く|内城のおすすめ散策ルート

志布志城跡の見学は、事前に全体像をつかんでから歩くと理解がぐっと深まります。志布志市埋蔵文化財センターを起点に、内城を巡る散策ルートをご紹介します。

① 志布志市埋蔵文化財センター|登城前の予習スポット

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志布志城跡を訪れる際、まず立ち寄りたいのが 志布志市埋蔵文化財センター です。ここは志布志市が設置する考古資料館で、志布志城跡をはじめとする地域の遺跡や歴史を学べる施設として整備されています。展示室には旧石器時代から近代までの出土品や遺物が時代ごとに並び、志布志地域の長い歴史をやさしく理解できます。実際に土器・石器・古い工具などの実物が見られるので、城跡散策の前にその背景を知るのに役立ちます。

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館内には、志布志城跡の見どころのひとつである 内城(志布志城の中心部分) を把握する展示物として、精巧に作られた 復元模型(縮尺1/200)が常設展示 されています。この模型は、16世紀頃の志布志城(内城)の構造や曲輪配置、堀の深さなどを立体的に示しており、現地では気づきにくい全体の形を視覚的に理解することができます。模型を見ながら歩くルートを思い描けば、実際の城跡を巡るときに「ここがあの位置か」と納得しやすくなり、散策がより深いものになります。

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続日本100名城スタンプ もこのセンターの展示室入り口に設置されています。志布志城は「続日本100名城 第197番」として選定されており、スタンプは開館時間内であれば押せますので、登城前に立ち寄る、または散策後に寄って押印するのがおすすめです。

② 内城登り口|大手道と搦手道の分岐

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志布志城跡には大手道と搦手道の2つの登城ルートがあります。今回は正面ルートの大手道から登りました。大手道は整備されていて歩きやすく、途中には曲輪や深い空堀が続きます。特に、シラス台地を削った空堀の底を進む区間は迫力があり、山城らしい防御構造を体感できます。搦手道は裏手ルートで、より自然の地形を感じられる道です。初訪問なら、大手道から登るのがおすすめです。

③ 矢倉場|物見と防御の拠点

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大手道を進むと最初に右側に現れるのが「矢倉場」です。内城手前に位置する曲輪で、防御上の重要地点と考えられています。広い平坦地があり、見張りの櫓や武具を置く施設があった可能性があります。建物は残っていませんが、地形から要の防衛拠点だったことが分かります。堀切や空堀に守られた構造を踏まえると、敵の動きを監視する前線の役割を担っていた場所といえるでしょう。

④ 空堀の底を進む大手道|中世山城の真骨頂

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矢倉場を過ぎると、大手道は深く掘り込まれた空堀の底をジグザグに進むルートへと変わります。左右の高所には曲輪が配置され、常に上から見下ろされる構造になっています。

攻め手は狭い堀底を進むしかなく、守る側は高所から攻撃できるという、典型的な中世山城の防御システムを体感できる区間です。志布志城の魅力が最もよく分かる見どころのひとつです。

⑤ 内城主要曲輪群|主郭部の広がり

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志布志城跡の大手道を登り切ると、城の中心となる主郭部の広い平坦地に到着します。ここは城の中枢にあたる場所で、かつては城主や重臣が滞在し、周囲の防衛や領地の統治の拠点となっていました。

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現在は建物こそ残っていませんが、周囲の土塁や堀切の跡から、その重要性がうかがえます。特に主郭部には、中世の新納氏が約200年間居城として守った守護神・三宝荒神が祀られており、城の安全と城主の繁栄を願った場所でもありました。

志布志城跡へのアクセス・駐車場・見学情報まとめ

所在地 鹿児島県志布志市
アクセス JR日南線 志布志駅から徒歩約20分
入場料 無料
見学時間 終日見学可能(夜間は足元注意)
駐車場 あり(埋蔵文化財センター・城跡周辺)
スタンプ設置場所 志布志市埋蔵文化財センター

所要時間の目安は、埋蔵文化財センターの見学に30〜40分内城散策に60〜90分ほどです。駅からの徒歩移動も含めると、全体で2〜3時間ほど見ておくと余裕を持って楽しめます。

まとめ|志布志城跡は“歩いてこそ分かる”巨大中世山城

志布志城跡は、シラス台地を大胆に削って築かれた空堀と土塁が今もはっきり残る、日本有数の中世山城遺構です。実際に堀底を歩き、曲輪を巡ってみると、当時の防御の工夫や緊張感を肌で感じられます。

展示施設で歴史を学び、城跡で地形を体感することで、志布志城の価値がより深く理解できます。日本100名城巡りはもちろん、中世城郭ファンや山城歩きが好きな方にも強くおすすめできる城跡といえるでしょう。巨大な空堀の底を実際に歩いたときの圧迫感は、写真では伝わらない志布志城ならではの体験でした。