【続日本100名城 第192番】角牟礼城|難攻不落の山城を登山しながら歴史散策

2023年11月25日、大分県玖珠郡玖珠町にある角牟礼城跡を訪れました。
城跡は、続日本100名城 第192番に選ばれた戦国期の山城で、険しい山容と巨石を組んだ石垣が今も残る歴史遺産です。築城は弘安年間(1278〜1288年)に森氏によって始められ、戦国時代には重要な要塞として機能しました。
この記事では、登山ルートに沿った見どころ(竪堀・石垣・二の丸・本丸など)、続100名城スタンプの設置情報、アクセスや駐車場の情報、所要時間の目安まで、初めて訪れる人でも分かりやすく解説しています。
角牟礼城跡の歴史|築城期から江戸初期まで
角牟礼城跡は、鎌倉時代後期に築かれたと伝わる山城で、戦国期には戦略的に重要な役割を果たしました。ここでは築城期から廃城までの流れを年代順に整理します。
- 久寿年間(1154〜1156年)
伝承では源為朝が築城したとも言われますが、史料では確認されていません。 - 弘安年間(1278〜1288年)|築城期
玖珠郡の在地領主・森朝通が、角埋山山頂に山城を築きました。豊後と豊前を結ぶ交通の要衝を押さえる要塞として整備され、以降の城郭形成の基礎となりました。 - 応永年間(1394〜1427年)
大友氏の影響下に入り、支城として機能を開始。城郭の防御施設や曲輪の整備が進められました。 - 文明7年(1475年)
『志賀文書』に「くすつのむれのしろ」として初めて登場。史料に残る正式な記録として確認されます。 - 永禄年間(1558〜1569年)
大友氏の直轄支城となり、戦国期に堅固な防御構造への改修が実施されました。穴太積みの石垣や曲輪が整備され、攻めにくい山城として完成します。 - 天正14〜15年(1586〜1587年)
島津義弘の豊後侵攻(豊薩戦争)で、わずか1000人の守備隊が約6000人の島津軍の攻撃を迎え撃ち、籠城に成功しました。この戦いで角牟礼城は「難攻不落」の名声を得ることになります。 - 文禄2〜3年(1593〜1594年)
大友氏改易後、豊臣秀吉の蔵入地として毛利高政が入城。石垣や櫓門を備えた近世城郭へと大規模改修され、城の機能がさらに強化されました。 - 慶長5年(1600年)
毛利高政が佐伯へ転封するまで、城の管理を行いました。 - 慶長6年(1601年)
来島長親(後の久留島氏)が入封。角埋山の城は藩の管理下に置かれ、山麓に陣屋が築かれたため城としては使用されず、廃城となります。 - 平成17年(2005年)
国の史跡に指定され、穴太積みの石垣や曲輪跡などの遺構が注目されています。現在も戦国期の堅城としての姿を残し、歴史散策や山城ハイキングの場として多くの人に親しまれています。
難攻不落と言われる角牟礼城
角牟礼城が「難攻不落の城」と称されるのは、自然地形と人工構造が巧みに組み合わされているからです。城は標高576mの角埋山の山頂に築かれ、周囲の急峻な斜面や崖が天然の防御壁となり、敵の侵入を困難にしていました。
さらに城内には穴太積みの石垣が巡らされ、特に二の丸の南西面には全長約100m、高さ最大7mに及ぶ石垣が連なります。外枡形虎口や櫓門と組み合わさったこの防御ラインは、正面からの攻撃を許さない巧妙な設計で、二の丸と本丸を結ぶ二重構造は城全体の防御力を大きく高めています。
加えて、竪堀や井戸曲輪といった補助的な防御施設も配置され、敵の進路を限定しながら長期戦に耐えられる工夫が施されていました。実際に、天正15年(1587年)の豊薩戦争では、わずか1000人の守備兵が約6000人の島津軍の攻撃を退け、城を落とされることなく防ぎ切った記録が残っています。
天然の要害と堅固な石垣、複雑な曲輪配置、実戦での防御実績が揃ったため、角牟礼城は戦国期に「難攻不落の山城」として名高くなりました。
城跡散策ルート
① 豊後森藩資料館(わらべの館)でスタンプ・準備

豊後森藩資料館は、大分県玖珠郡玖珠町にあるわらべの館の2階に設置された小規模な博物館で、森藩や角牟礼城跡を中心に地域の歴史を紹介しています。続日本100名城 第192番のスタンプもこちらに置かれており、角牟礼城に登る前に立ち寄るのに便利です。

資料館の入館料は100円で、館内では、森藩の歴史、久留島家の足跡、角牟礼城跡の構造や遺構、旧久留島氏庭園の紹介、北里柴三郎に関する展示など、複数のテーマで資料が展示されています。特に角牟礼城の3Dレーザー地形図や映像資料は、訪れる人が城全体の様子を理解する助けとなります。
開館時間は9:00〜16:30(最終入場16:00)で、休館日は月曜日(祝日の場合は翌平日)と12月28日〜1月4日です。
② 三島公園を抜けて登山口へ

資料館の北側から歩くと、旧久留島氏庭園(現在は三島公園として整備)を通って角牟礼城の登山口へ向かうことができます。庭園は江戸時代に久留島氏が藩主として暮らした時期に整備されたもので、池泉回遊式の庭園や石組、植栽の配置など、当時の武家文化の趣を今に伝えています。旧城下町の街並みとあわせて歩くことで、登城前に歴史の雰囲気を感じながら散策することができ、城への期待感を高めるルートとなっています。
③ 山道を登頂(約30分)

庭園の裏手にある登山口は、かつての神社跡からスタートします。最初はゆるやかな石段を登りながら進み、次第に急な坂道や補強用の偽木階段を登るルートとなります。道中には竪堀や井戸曲輪の跡が点在し、山城独特の防御構造を間近に観察することができます。竪堀近くには無料の「三の丸駐車場」もあり、車で登山口近くまで行けます。

角牟礼城跡の遺構は、中世の力強い城郭技術と近世の整った構造が融合した穴太積みの石垣を中心に、大手門や二の丸跡などが当時の攻防の様子を伝えています。これらの建造物は崖に沿うように配置されており、圧倒的なスケール感を味わえます。

高さ7mを超える穴太積みの石垣は、自然石を巧みに組み上げた伝統的な工法で、苔むした表面からも長年の安定感がうかがえます。
特に南西側の連続した石垣は敵の侵入を防ぐ防御ラインとして設計され、下から見上げると急傾斜の迫力が「難攻不落の城」の名にふさわしい存在感を放っています。
④ 二の丸跡

二の丸は本丸のすぐ下に位置する西曲輪を中心とした広大な曲輪で、南側には全長約100m・高さ最大7mの穴太積み石垣が連なり、城内でも最大級の防御ラインを形成しています。南側と西側には外枡形虎口が配置され、それぞれに約9m×4.5mの櫓門跡(礎石が現存)が確認されており、長期にわたる籠城戦に備えた構造であったことがうかがえます。
⑤本丸跡と絶景ポイント

二の丸を抜けると標高576mの本丸に到達します。本丸は長軸約50mの多角雑形郭で、北側隅には櫓跡、南側には幅約4mの石段虎口が設けられ、主に土塁で囲まれながらも石垣による補強が施されていました。さらに、搦手側にも同規模の門跡が残され、二の丸と連動した二重防御の構造が城全体の防御の深さを示しています。訪れる人は、曲輪ごとに異なる高さや石垣の迫力を感じながら、本丸までの道のりで戦国期の山城の戦略性を体感できます。

本丸からは、眼下に広がる玖珠盆地の景色が圧倒的です。標高576m、周囲の地面との比高差約230mの位置に立つことで、開放感あふれる眺望が楽しめます。田園が織りなす緑のパッチワークや、清らかな玖珠川の流れが織り成す里山の風景を一望でき、天気が良ければ遠くの玖珠連山まで視線が届き、山城ならではの壮大な自然美を体感できます。
アクセス・駐車場・基本情報
| 所在地 | 大分県玖珠郡玖珠町 |
|---|---|
| 最寄駅 | JR豊後森駅から徒歩約30分、または路線バス「森町」停留所下車すぐ |
| 入場料 | 無料 |
| 開館時間 | 資料館 9:00〜16:30 |
| 休館日 | 資料館:月曜・年末年始 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| 所要時間 | 登山・見学で約1〜1.5時間(資料館・スタンプ含めても2時間以内) |
まとめ|角牟礼城跡の魅力とおすすめポイント
角牟礼城跡は、戦国期の山城の特色を色濃く残す歴史スポットで、登山を通して当時の防御戦略や城郭設計を体感できる貴重な場所です。険しい山道や穴太積みの石垣、二の丸・本丸を巡ることで、戦国時代の城攻めの雰囲気を体感できます。
また、続日本100名城 第192番のスタンプを押せるため、城巡りの達成感も得られます。資料館では、角牟礼城や森藩・久留島氏に関する展示が充実しており、歴史に詳しくない方でも城の背景や地域の文化を分かりやすく学べる点も魅力です。
所要時間は登山と見学を合わせて往復1〜1.5時間程度(資料館・スタンプも含め、最大2時間以内)です。自然景観と歴史散策を同時に楽しめ、初心者から城好きまで幅広く楽しめるスポットです。玖珠町の観光ルートに組み込むことで、地域の歴史と自然の魅力を一度に体感できます。
