【続日本100名城161番】岸和田城観光ガイド|八陣の庭・復興天守・所要時間まで解説

【続日本100名城 第161番】岸和田城を徹底解説|八陣の庭と大阪湾を望む復興天守

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2024年1月18日、大阪府岸和田市にある岸和田城きしわだじょうを訪れました。
岸和田城は続日本100名城 第161番に選定されている城で、現在は岸和田城跡公園として整備されています。

この城の最大の特徴は、復興天守と国指定名勝「八陣はちじんの庭」が同時に楽しめる点です。水堀や石垣がよく残り、戦国から江戸時代にかけての城郭構造を体感できる貴重な史跡です。岸和田市街地の中心に位置し、観光と歴史散策を両立できるスポットとして人気があります。

岸和田城とは|歴史と築城背景

岸和田城きしわだじょうの起源は中世にさかのぼります。伝承では建武元年(1334年)ごろ、楠木正成に関係する一族の和田氏がこの地に砦を築いたことが始まりとされます。当初は小規模な防御拠点でしたが、紀伊方面と畿内を結ぶ要衝に位置していたことから、次第に軍事的な重要性を帯びていきました。

戦国時代になると城は本格的に整備され、地域支配の拠点として発展します。大きな転機となったのは天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐の時期です。この頃、秀吉の叔父にあたる小出秀政こいで ひでまさが岸和田城主となり、近世城郭としての大改修が行われました。小出秀政は豊臣秀吉の親族で、賤ヶ岳七本槍の一人・小出吉政の養子としても知られ、豊臣政権下で岸和田城の近世城郭化を進めました。本丸を中心とした曲輪の整備、石垣や水堀の構築、そして当時は五層の天守があったと伝えられています。岸和田城は、紀州方面への備えと大坂を守る外郭拠点の一つとして位置付けられました。

江戸時代に入ると城主の交代を経て、寛永17年(1640年)に岡部宣勝おかべ のぶかつが入封します。以後、岡部氏は明治維新まで約230年間にわたり岸和田藩を治め、城は藩政の中心として機能しました。この時代、城下町の整備が進み、岸和田は商業や交通の拠点としても発展します。岸和田城は軍事施設であると同時に、政治と経済を支える城でもありました。

しかし城の象徴であった天守は、文政10年(1827年)に落雷によって焼失します。再建は行われないまま時代は幕末へと移り、明治4年(1871年)の廃藩置県後、城の建物の多くは取り壊されました。それでも水堀や石垣などの基盤構造は残り、城の縄張りを今に伝えています。

現在の天守は、戦後の復興事業の一環として昭和29年(1954年)に再建された三層三階の復興天守です。内部は郷土資料館として公開され、岸和田藩や城の歴史に関する資料が展示されています。また昭和44年(1969年)には櫓や城壁の一部も復元され、公園として整備が進みました。

このように岸和田城は、中世の砦から戦国期の拠点城郭、そして江戸時代の藩庁へと姿を変えながら地域の歴史を支えてきた城です。現在も堀や石垣、復興建築が往時の面影を伝え、続日本100名城に選ばれるにふさわしい歴史的価値を今に伝えています。

城内散策レポート|実際に歩いてみた

① 入口・外郭エリア

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岸和田城の周囲には、かつての防御機能を今に伝える水堀が巡らされています。この堀は、戦国時代から江戸時代初期にかけて城の防御を強化するために整備されたもので、敵の侵入を抑える重要な役割を果たしていました。現在では都市の中心部に位置しているため周囲は住宅街や商業施設に囲まれていますが、水堀と石垣が組み合わさる景観は、当時の近世城郭の雰囲気をしっかりと感じさせます。石垣には自然石を活かした野面積みの古い部分と、近世的な打込接ぎの石垣が混在しており、時代ごとの改修の痕跡を観察できます。

② 二の丸・居館エリア

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城の中心部に向かうと、二の丸のエリアに入ります。江戸時代には、岸和田藩主・岡部氏の家臣たちが居住し、藩政や城務を行うための役所や詰所が整備されていた場所です。この区画は城の運営と日常管理の拠点として重要な役割を果たし、城全体の政治・行政機能を支える中心的な空間でした。現在は建物は残っていませんが、広場として整備された二の丸からは、当時の城郭構造や藩政の中心地としての配置をイメージすることができます。

③ 大手門・八陣の庭(名勝庭園)

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二の丸跡から進むと、昭和44年(1969年)に復元された大手門(復興櫓門)をくぐります。門を抜けた先に広がるのが「八陣の庭」です。この庭園は戦国時代の遺構ではなく、昭和28年(1953年)に作庭家・重森三玲しげもり みれいによって築かれた近代日本庭園です。諸葛孔明の「八陣法」をテーマにした独創的な石組みが特徴で、歴史的城郭の中に近代庭園が融合した珍しい景観を生み出しています。庭園の名称にもなっている「八陣法」とは、中国の三国時代に活躍した軍師・諸葛孔明が考案した戦陣の布陣法で、戦場で兵を効率的に配置し、敵の動きを制するための戦術体系です。

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庭園では、中央の大きな石組を拠点に、周囲に小石や砂紋が配置されており、指揮官や兵士の隊列を象徴しているといわれます。訪れる人は、美しい庭として鑑賞するだけでなく、石や砂の配列から、中国の兵法思想をもとにした陣形の概念が視覚的に表現されたユニークな空間を体感できます。

④ 天守・展示施設

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本丸の中心には、昭和29年(1954年)に再建された三層三階の復興天守が堂々と建っています。天守内は郷土資料館として整備されており、岸和田藩の歴史や城郭の構造、古文書や模型などを間近で見学できます。

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また、岸和田城の続日本100名城スタンプも天守受付で押印可能で、入場時すぐに確認できる便利な位置にあります。天守が休館日(主に月曜日)に閉まっている場合は、二の丸広場にある観光交流センターで代替押印が可能です。

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天守最上階からは岸和田市街が広がり、天候が良ければ遠く大阪湾方面まで見渡せ、海沿いの平山に築かれた戦略的な立地の利点を実感できます。天守からの景観は、城が地域防衛や港湾警備の拠点として重要であったことを、訪れる人に強く伝えるスポットです。

アクセス・駐車場・基本情報

所在地 大阪府岸和田市岸城町9‑1
最寄駅 南海本線「蛸地蔵駅」から徒歩約7分/「岸和田駅」から徒歩約13〜15分
入場料 大人300円、中学生以下無料
岸和田城開館時間 10:00〜17:00(最終入館16:00)
休館日 月曜日(祝日の場合は開館)・年末年始など
岸和田城駐車場 ・岸和田市営駐車場:台数約25台、2時間目安200円、徒歩数分
・岸和田市役所第4駐車場:台数約90台、最初の1時間無料、以降1時間100円、徒歩圏内
・周辺コインパーキング:例)タイムズ岸和田城前など、60分200〜330円、最大料金あり

車でのアクセス:阪神高速4号湾岸線「岸和田南IC」から約7〜8分。休日やイベント時は混雑するため、早めの到着か公共交通機関の利用がおすすめです。岸和田城駐車場は台数が限られるため、観光シーズンは周辺コインパーキングの利用も視野に入れておくと安心です。

まとめ|岸和田城はこんな人におすすめ

岸和田城は、大阪府岸和田市にある歴史的な平山城で、戦国時代から江戸時代にかけて地域を支えた城郭の構造を体感できる貴重なスポットです。復興天守や昭和44年(1969年)に復元された大手門、国の名勝「八陣の庭」は、城郭防御と庭園文化が融合した独特の景観を楽しめます。

水堀や石垣は当時の防御施設をよく残しており、戦国期の軍事的な工夫や江戸時代の藩政の中心地としての役割を実感できます。天守内部の郷土資料館では、岸和田藩の歴史や城の構造に関する展示があり、歴史学習や観光にも最適です。岸和田城の続日本100名城スタンプも設置されており、城巡りファンや歴史散策を楽しむ旅行者には外せないスポットです。

岸和田城の見学所要時間の目安は 1時間前後(約60〜90分) で、天守や庭園をじっくり回ると1時間半近くかかる場合もあります。庭園や展望台からの景色を楽しみたい人、戦国時代の軍事思想に触れたい人、都市観光と歴史散策を両立させたい人に特におすすめの観光地です。